二人の作家

 「あ、田中先生!おはようございます!本日もよろしくお願いします!」
 番組出演者用の控え室から出てきたプロデューサーが、田中の姿を見つけるなり、挨拶の言葉を向けた。
「おはようございます」
と、田中はプロデューサーの大声に苦笑しながら、挨拶を返した。
「田中先生、本日のゲストは戸川先生です!」
 プロデューサーが田中のために控え室のドアを開けた。
 田中が控え室の中を覗き込むと、そこには、
「お久しぶりです、田中先生」
 戸川が会釈をすると、戸川も、
「あ、どうも、ご無沙汰しております」
と、会釈した。
「あれ・・・?ああ、そう言えば、お二人は同じ年に芥川を受賞されたんでしたね」
「何だ、今まで気付かなかったんですか?」
「どうも、最近物覚えが悪くて」
 愛嬌のある顔でプロデューサーは誤魔化し、
「本番になりましたら、お呼びしますので」
と言うなり、そそくさとスタジオへ走って行った。
「田中先生、お座りになったら如何です?」
 戸川が田中に声をかけると、「ああ、そうですね」と、田中は戸川の向かいのパイプ椅子に腰を下ろした。
 戸川がテーブルの上の隅に並んでいるペットボトルと紙コップを一つずつ、田中の前に置いた。
「ありがとうございます。それにしても何年ぶりですかねぇ。最後にお会いしたのは、“月刊イッキ読み”が休刊を決定した直後でしたっけ?」
 田中がミネラルウォーターが入ったペットボトルを開けながら訊ねると、戸川は頷き、
「そうです、6年前ですね」
「早いなあ、もう6年かあ。以前は同じ雑誌で連載していた時期もありましたが、最近はそういうことも無くなりましたね」
「そうですね、お子さんは幾つになられたんでしたっけ?」
「今年の春に小学校に上がりました」
「それじゃあ、少しは昼間に仕事しやすくなりました?以前、お会いした時、夜泣きがひどくてなかなか仕事が進まないって言ってましたけれど」
「仕事しやすくなったと言っても少しだけですね。一人で遊びに行く程、仲の好い友達もまだいないみたいなので、学校から帰ったらすぐにテレビの前に陣取っていますよ」
「その内、友達を家に呼ぶようになって、賑やかになりますよ」
「そうなってしまったら、余計に仕事が進まなくなりそうですね」
 一頻り笑い合った後、静かに沈黙が訪れる。
「新作、読みましたよ」
 戸川がぽつりと言い、田中がそれまで見ていた戸川の手元から顔を上げた。
「『風の詩』ですか?他の人ならともかく、戸川さんに読まれると何だか恥ずかしいな」
 田中は姿勢を正しながら答えた。
「田中先生は、あのジャンルの作品をどうしても一度は書きたかったそうですね」
「ええ、子供が生まれてから、子供の目線から見た“家族”をテーマにした作品を書きたい気持ちが出てきましてね。これといって大きな事件も起きない、ほのぼの系と言うのですかね、そんな感じのものを書きたくなったんです」
 戸川は微笑を浮かべながら田中の話を聴いている。
「一昔前の、それこそデビューしたばかり頃の自分だったら、ほのぼの家族の話なんて絶対に書こうなんて思ってもいなかったのに、不思議なものですよ」
「編集さんは、何か言ってましたか?家族ネタの作品について」
「渋々了承した感じでしたよ、実際一部の読者からもつまらないと苦情が来ましたし」
「お金が絡みますからねぇ・・・」
 戸川が手元の紙コップにお茶を注ぐ。
「戸川さんの」
「え?」
「自分も、戸川さんの新作を今、読んでます」
「有り難うございます」
 戸川が頭を下げる。
「あの、凄かったです、ああスイマセン」
 田中が頭を左右に激しく振った。
「物書きの癖に、こんな陳腐な感想しか出せなくて。まだ途中までしか読んでいないんですけれど、主人公が捉えている世間、いや前世や来世も含めた“世界”に対する憎しみが強過ぎて、その凄味に怯えながら読んでます」
 田中が早口でまくし立てるが、それでも戸川は何度も頷き、田中の感想を聴いていた。
「戸川さんの作品は、新作が発表される度に毎回購入して、読んでいたんですけれど、どの作品も憎しみや悲しみ、怒りなど、人間の負の感情が大きなテーマとなっているので、今回の新作も今までと同じテーマかなと思っていたんです。でも読んでみたら、これまで読んだ本が生易しかったと思う位でした。あの!念のために言っておきますが、戸川さんの今までの作品を否定しているのではありませんから!本当に怖い作品なので、戸川さんの作風がどんどん深化していると思いました」
「あの作品はこれまで以上に読者を怖がらせようと思って書き上げたので、田中先生がそれ程怖がってくれるのであれば大成功です」
 戸川が笑いながら言った。
「感嘆の溜息しか出ません。こっちは未だに色々なジャンルに手を出しては、あちこちから文句を言われたりしているのに。戸川さんの作風はどんどん強化されていると言いますか、深みを増してきて、とても羨ましいです」
「羨ましがられる程じゃないですよ。こちらだって田中先生が色々な分野に挑戦されている様子を見ると、書きたい話が沢山あるんだなって、尊敬しているのですよ」
「戸川さんはそう仰いますがね、書いている身としては迷走しているようで・・・」
「田中先生にとっては書きたかった話なのでしょう?気にすることはないですよ」
 再び二人の間に沈黙が訪れた。
「それでも作風が」
 田中が沈黙を破りかけた途端、
「お待たせしました!準備が出来ましたので、スタジオへどうぞ!」
 けたたましくドアが開けられたかと思いきや、先程のプロデューサーがまたも大声で飛び込んできた。
「本日はよろしくお願いします」
 戸川が立ち上がり、プロデューサーに丁寧に挨拶する。
「こちらこそよろしくお願いします!」
 プロデューサーも深く頭を下げた。
「戸川先生は当局でのテレビ出演は初めてですよね?スタジオまでご案内します!」
「ありがとうございます」
 プロデューサーと戸川が控え室から出て行く。
 田中も遅れまいと立ち上がる。
「それでも作風が」
 言いかけた言葉を再び口にするが、ふと鏡の中の自身と目が合った田中は、頭を左右に振り、ドア脇に据え付けられた照明のスイッチを切るなり、出て行った。
 控え室のドアが静かに閉まった。

あ と が き
 私は基本的に作中の登場人物に名前を付けません。
 匿名の人間が語り手となる怪談を読むと、その匿名者の恐怖体験が身近に起きた出来事に感じるように、男や女といった単語の方が感情移入しやすいと考えているからです。
 今回は二人の作家にあえて名前を付けましたが、読み手が連想した田中のモデルと戸川のモデルは、読み手によっては全く異なっているかも知れないですね。
 また、自分の家族に子供という存在が増えるということは、男女によってまた感じ方も変わるかと思い、二人の性別についての表現は一切書いておりません。
 健全な純愛から凌辱薔薇百合(人外系も含む)まで幅広く書けたら、それはそれは素晴らしい人生だろうと思います。でも10年後には、一つの道を究めることを良しと考える自分になっているかも知れません。

2014年12月7日