あるサロンで語られた体験談 7日目
外に出る。
星の見えない空には満月が浮かんでいる。
私は鉄門の方へ行こうとしたが、玄関扉の鍵穴が開かれる音が私を突き刺した。
私は走りながら空を見上げた。確か此処へ来た日の晩も満月だった。本来ならば欠けている筈の月が、毎晩太り続けている。
おお、此処は天ですら狂ってしまっているのか!
更に、墓場に着いた時、私はあの親戚と名乗る彼達が何処から来たのかを知ってしまった。
あれ程重かった石室への扉が全て上げられ、暗い地底への口を開いていた。
彼達は此処から来たのだ。
この墓場の、墓石の下からやって来たのだ。
私は、そのいくつもある穴の一つに、何も考えずに飛び込んだ。
下へと続く階段を転げ下り、私は月光がほとんど届かない階段の脇に隠れた。
カビ臭さが私の肺に忍び込む。すると肩に何かが乗った。
蜘蛛でも居るのかと手で払おうとすると、それは更に肩にきつくしがみついた。
「主よ、感謝しますわ」
私ではない声が、私の心臓を重傷にさせた。
此処は、先刻話題に出ていた、あのパーティーへの出席を嫌がったという女性の眠る石室だったのだ!
私は彼女の置くその手に視線をやった。おぼろげながらも、その輪郭が見える。少し痩せてはいるが、白い、普通の人間のようだった。
恐る恐る、後ろを振り返った。
喉元までは人間のように見える。だが顔には肉が無く、白い髑髏が首から突き出している。
眼球の無い穴の奥から女性の声が聞こえる。
「ねえ、御願い。どうしてもパーティーに行きたいのよ。でもこんな顔で人前に出たくないの」
「皆化け物だらけじゃないか。肉の付いていないアンタなんか、まだマシじゃないか」
私が反論すると、女性はいきなり私の右肩に噛み付くなり、その肉を噛み千切った。
「っ!!」
外に誰かが居るかも知れないので迂闊に叫べない。
驚いたことに、その女性は私の肩の肉を咀嚼していた。歯の間から血が垂れ、白いドレスの上に赤い花を咲かせた。
やがて肉の焼けるような音を発しながら、彼女の下顎に苔が生えるかのように肉が再生していった。
以前、解剖学を受講している学友が見せてくれたスケッチの通り、筋肉組織から表皮組織へと蘇っていったのだ!
彼女は何度も感嘆の声をあげながら、自分の下顎を撫でていた。
私はこんな非科学的な現実が信じられなかった。医学を専門とする教授陣がこの場に居たら卒倒していただろう。
「ああ、有り難う。貴方の御陰で私の下顎が再生したわ。ねえ、この分だと貴方のその右腕で私の顔が再生するの。貴方を此処から出してあげる代わりに、貴方の右腕を頂戴」
私は黙って首を横に振った。
「嫌なら左腕、いいえ脚でも良いわ」
なおも食い下がる。
「断る・・・」
私は恐怖に負けそうになりながらも、かすれた声を出した。
すると彼女は猛然と怒り出した。
「私が昔、何と言われていたか御存知ないのね!?私の美しさに誰もが溜息を吐いたものよ!嗚呼、もう一度あの溜息を聞きたい!私の美しい夫と共にパーティー会場に颯爽と現れる。ささやかな夢かも知れないけれど、私はこれでも何年もパーティーに行ってないの!それもこれも、みんな、私の顔が腐敗して消えてしまったからなのよ!」
あまりの彼女の身勝手さに、私の怒りは恐怖心に打ち勝った。
「ふざけるな!!」
私は彼女を突き飛ばすと、階段の上に飛び上がり、地上へと逃げ出した。
「待って!御願い!」
女の懇願の声が聞こえ、私の怒りは頂点に達した。
私は墓石の後ろに回り込むと、墓穴に向けてそれを押した。
古い墓石は私の力であっと言う間に負けてしまい、地上へ出ようとしていた女の上に落ちた。
「ギャッ!!」
御伽話に登場する、最後には負けてしまう魔女のような醜い声と共に骨が砕け散る音が響いた。
私は柵伝いに走って、小屋のある側とは反対の屋敷の脇を通って前庭へ向かった。
悲痛な叫び声が森の中を駆け抜けた。
振り返ると、私が逃げ出した墓穴の傍にいくつもの死体が立っていた。
女性の名前を泣き叫ぶ声が後を続ける。彼女の言っていた夫であろう。
私は急に彼女に申し訳なく思えてきた。
怪奇小説にあるような、不気味な声を発しながら主人公達に襲いかかる怪物とは違い、彼達は人間と同じように死を悲しむ心を持っていたのだ。それなのに私は彼女を死に追い込んでしまった。
私が後悔していると、墓場の周りに居た馬の頭を被った男がそれを外した。
私は遂に叫んでしまった。
その男には頭部が無く、月光の下に晒された首の骨が青白く輝いていたのだ!
私は叫んだ。この叫び声が森を抜け、私を助けてくれる人が来ることを求めた。
肌を傷つけ、衣服に棘を絡ませながらも私は必死で薔薇の茂みを掻き分け、鉄門を開けようとした。だが、またしても、私は天に見放されてしまったようだった。
閉じられた門を音高く鳴らすも、それは彼達に自分の存在を知らせるだけで、何の意味も成さなかった。
「大変悲しい。貴方をこんな形で失ってしまうなんて」
主人の声に、私は立っている力を無くしてしまった。
振り返ると、何人もの死体と共に主人が私を見下ろしていた。その後ろには暗い屋敷の影。
「馬は、盗まれたんじゃなく、アンタ達で食べて、あの女のように自分の体を再生したのか?」
私が訊ねると、主人は礼儀正しく答えた。
「お察しの通り、私達一族は死してなお、魂がその身に宿り続けているのです。これは昔からそうでしてね。年に一度、こうやって肉を皆で分け合い、その身を蘇らせ、この地に躍り出るのです」
「馬は、あの馬の面を被っていたあの男には首が無かった。あれはどういう意味なんだ!?」
「彼達は戦争に遠征した時に、敵に首をはねられたのです。ですが、そのままの姿でパーティーに出れば、他の貴婦人に失礼だろうということで、あのように馬の頭部の中身を抜き取り、被っているのです」
「何で・・・、何で、死なないんだ・・・」
「それは判りません」
「・・・・・・・・・・・・」
主人の表情が月光の影になって、よく見えなくなった。
「貴方を此処へお呼びしましたのは、純粋に仕事を手伝って欲しかったからなのです。決して、貴方を食そうなどとは誰も考えておりません」
「嘘だ・・・」
「しかし、このように秘密を知られてしまっては、こちらとしましても大変困りますので・・・」
そう言い終えない内に、主人は懐から銃を取り出した。
「・・・・・・化け物!!」
私は今生の思いで、そう言い放った。
その時、私の見間違いでなければ、主人は一瞬悲しげな顔を浮かべた。
「所詮、我々は互いに理解し合えない仲なのだ」
死体の内の一人がそう呟くのが聞こえた。
「っ・・・!」
死を覚悟したその瞬間、私は逃げ道を見つけた。
主人が引き金に指を掛けた時、私は立ち上がると同時に、主人の腹を蹴り飛ばしたのだ。
銃弾は的を外れ、空を貫いた。
私は即座に鍵穴を足掛かりに門の上部に上ると、地面へ飛び降りようとした。しかし噛み千切られた右肩の激痛のせいでバランスを崩し、私は受け身の体勢を取る間もなく、左膝を打ち付けてしまった。
私は急いで起き上がり、走ろうとしたが、左膝の骨を折ったらしく、立つのがやっとだった。
「門の鍵はどうした!?」
「私の書斎にある机の上だ・・・」
主人の苦々しい声に、私は左足を引きずりながら前へ進んだ。
後ろから死体達が罵倒する声が聞こえる。
私は重りを付けられた囚人のように必死で逃げようとした。だが必死で走っている筈なのに、歩いている時と何ら大差はなかった。
早く逃げなければと気持ちだけが焦り、遂に私は躓いてしまった。
その時、鍵穴に鍵が差し込まれる音が後ろから聞こえた。