あるサロンで語られた体験談 終
精神が肉体を凌駕するとよく言われるが、あれは本当である。
鍵穴に鍵が差し込まれる音を聞いた瞬間、私を苦しめていたあの激痛は消えてしまい、気付いた時にはいつの間にか森を抜け、町へと走っていた。
教会の尖塔にある十字架を見た時、私はまたもや叫んでしまった。
教会の扉の前に辿り着くなり、私は何度も扉を叩いた。
扉が開かれると、私は眠たげな牧師を突き飛ばして中に飛び込み、祭壇に駆け寄るなり、ありとあらゆる祈りの言葉を唱えた。否、叫んだと言っても過言ではない。あまりの大声に近隣の住民が何事かと見に来た程だ。
牧師の御陰で少し気を落ち着かせた私は町人達に、屋敷で何が起こっていたかを一部始終話した。
牧師も町人達も私の話をホラ話だと言って信じなかったが、その表情の裏には「やはりそうであったか」と確信しているようだった。
その日の朝、街へ帰る時、私は牧師に頼んで聖水を振りかけて貰い、更に馬車を引く馬にも掛けて貰った。町人は呆れていたが、私はこうでもしないと気が済まなかった。
私が下宿する家に着いた時、大家がわざわざ出迎えに来てくれた。
大家は馬車から降りた私の変貌ぶりに驚き、何があったのかと頻りに訊ねた。
私は信じて貰えないと考え、何も答えずに無言で部屋の至る所に十字架やマリア像を並べ、聖書の文句や祈りの言葉を書いた紙を貼り付けた。
大家は私のその奇行を心配し、直ぐに私の学友達を呼んだ。
学友達は大家以上に驚き、私に鏡を差し出した。
鏡の中には、頬が削げ、目元に茶色く変色した隈があり、飛び出しそうな目を持った、幽霊のような男、つまり私が居た。
私は泣いた。
このような姿になってしまったが、私は今、生きているのだ。
そう思うと私の目からは更に涙が溢れた。
あれ以来数十年も経つが、私は未だに十字架を片時も離していない。
先日、政府の国税調査の確認のために、あの屋敷へ再び訪れる機会があった。
同僚と共に屋敷へ踏み入れると、其処は荒れ果て、もはや動物の住処のようであった。
傑作な事に、あの主人が寝ていたベッドの上には狐が居座っていた。
墓場の方にも行ってみたが、そこには墓石が一つもなく、棺の無い石室が並んでいた。
あの屋敷の住人がどうなったか、私は知らない。
もしかしたら、今も何処かに潜んでいるのかも知れない。
おや、もうこんな時間ですな。私はそろそろ失礼しなくては。
それでは皆さん、御機嫌よう。
あ と が き
此処までお読み下さり、有難うございます。
2007年秋、某イラストサイトにて開催されたハロウィン企画にて投稿した作品です。
洋風怪奇小説を意識しながら書いておりました。
2007年10月31日