あるサロンで語られた体験談 4日目

 昨日は散々な目に遭った。
 流石に馬肉用として育てられたとあって、馬達は森の入り口に来ると体力が尽きたらしく、それ以上進もうとしなかった。
 私は屋敷までの長い道のりを、馬の手綱を引っ張って無理矢理歩かせることしか出来ず、屋敷に着いた時には既に正午を遙かに回っていた。
 夕食時には昼間の疲労の故に、グラスを落として割ってしまうという失態まで起こしてしまった。
 消灯時には、一歩歩く度に何キロも歩かされたような疲労感が体にのし掛かり、ベッドに辿り着いた時の事すら覚えていない、それ程疲れていたのだろう。

 墓場へ行く前に、せめて馬に水でもやろうと桶に水を汲み、小屋に併設されている畜舎に入ると、私は思わず桶を落としてしまった。溢れた水が私の靴を濡らした。

 「旦那様!」
 私ははしたなくも大声を出してしまった。
 食堂には主人と夫人が居り、そして少年も居た。
「どうかしたのですか?」
 主人は訝しげに言った。
「馬が、馬が消えてしまいました」
 主人と婦人は少し驚いたようだった―少年はいまいちよく判らなかった―が、突然主人は笑い出した。それにつられるかのように婦人も笑い出した。
「あの、馬が、本当に消えてしまったんです!昨日、私はちゃんと町で買ってきて、あの畜舎に入れたんです!」
 私が必死になって説明しているのに、二人はなおも笑い続けた。
「旦那様、奥様!これは笑い事ではありませんよ!昨夜、誰かが屋敷に入り込んで、きっと馬を盗んでいったんですよ!」
「いや、失礼、いきなり笑ってしまって」
 主人はそう言い訳をしながらも、まだ笑っていた。
「ここでは良く有る事ですよ。今年の収穫量が少なかった家が、他の家の家畜を盗んで冬の蓄えにするというのは、珍しい事ではありません」
「しかし、それでは泥棒ですよ。旦那様は損をされたのですから、今すぐ町に行ってこの事を知らされた方が宜しいのでは?」
「良いのですよ、気にしないで下さい。言ったでしょう?ここらでは良く有る事だって」
 私は口では了承したものの、やはり納得が行かなかった。

 シーツを洗っている時、私はまだ今日は墓場の掃除をしていない事に気が付いた。
 馬の騒ぎですっかり忘れてしまったのだろう。
 私が墓場へ行くと、先客が居た。
 少年だった。
 少年は手に何本かの薔薇を持っており、傍の墓石の上には少年が置いたらしい薔薇があった。
 昨日までは被っていなかったが、今回はまたもやあの南瓜を被っている。
 私が掃除を始めようとしたその時、南瓜の中から声が漏れ出た。
「昨日食べたじゃないか」
「え?」
 私が少年の方を振り返ると、少年は私の存在を無視するかのように屋敷へと戻って行った。

 消灯を終え、部屋へ戻ろうとした時のことである。
 犬の吠え立てる声が何処からか聞こえてきた。
 二階の廊下の窓から外を見遣ると、肥えた月に照らされた墓場に一匹の犬が、墓石の下の方に何か小動物でもいるのか、激しく吠えていた。
 辺りはとても静かな為、その声は一層こちらまではっきりと響いていた。
 だが主人達はとっくに眠ってしまったのか、起きてくる様子はなかった。
 あまりにも五月蠅いので、犬を追い払いに行こうとしたその時、急に犬が憐れみを乞う声を出し始めた。後ろ肢で地面を擦っているのを見ると、何かに前肢を捕まれて逃げられなくなっているようだった。
 何かがおかしいと私が気付いたその時、突然地面から人間の片腕が突き出され、泣き叫ぶ犬の頭にその青白い手が置かれた。
 心臓が今にも私の肋骨や筋肉を突き破りそうだった。
 僅かに骨の折れる音が私の耳に飛び込んだ。
 数秒後、犬の頭部は一瞬にして地面に叩き潰されてしまった。
 頭を失った胴体は、バランスを崩し、倒れ込んだ。
 それは私にあの栗鼠を思い出させた。
 その光景に私が後退りしたその時、片手に持っていた燭台の火が一瞬にして消えてしまった。
「・・・・・・・・・・・・」
 煙の臭いが漂う。
 私は振り返らなかった。相手が誰なのかを、身をもって知っているからだ。
 私の横から犯人が小走りに駆けて行く音が聞こえてきた。
 足音が止んだ。
 振り返ると、窓から差し込む月光で輝く白い穴が二つ並んでこちらを視ている。
 手の中から、溶けた蝋を垂らす燭台が滑り落ちた。
 燭台と床がぶつかり合う衝撃音によって、ようやく私の体が反射的に動き、私は真夜中だというのに不作法にも荒々しくドアを閉めると、寝間着に着替えもせずにベッドに潜り込み、ただひたすら幼少時代の楽しかった出来事を繰り返し思い出していた。

2007年10月31日