あるサロンで語られた体験談 3日目

 朝、私は、今日は屋敷の方を向いて掃除をすることにした。
 昨日は背を向けていた為に少年に気付かなかったからである。
 案の定、少年は今日も杖を持たずに墓場へやってきた。
 私は屋敷の方からやって来る少年に気付かない振りをしながら掃除を続けた。
 落ち葉に火を付ける為にしゃがみ込んだ時、私はようやく少年に気付いたと言わんばかりに顔を上げた。
「お早うございます。今日は昨日よりも寒いようですね」
 私は少年と目を合わせないようにしながら、それでも勇気を持って少年に立ち向かった。
 火を付けると、私は更に「少し火に当たられますか?」と誘ってみた。
 すると少年はおもむろに何かを握り締めた右手を、ようやく火が回り始めた落ち葉の上に差し出した。
「?・・・どうかされ」
 私は言葉を切ってしまった事に後悔した。またも少年の思う壺となってしまった。
 少年は私が昨日埋めた筈の栗鼠の死体を、主人と同じようにその尻尾を持って私に見せつけていた。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・フフ、ウフフ、アハハハハハ」
 少年は笑った。白い目元を歪ませ、小さな唇を横に広げ、笑っていた。
 少年の―いやに子供らしい―笑い声によって、少年と私との間にあった緊張感は崩壊した。
 少年は火の中に栗鼠の死体を投げ入れると、笑いながら屋敷へと、それも緩慢な足取りで戻っていった。

 先刻見せつけられたあの栗鼠の御陰で、私は朝食を食べる気になれなかったが、少年の居る手前、大人げもなく意地を張って朝食をたらいあげた。

 食後、空になった食器を持って台所へ行こうとする私を、主人が呼び止めた。
「食器を洗い終えたら、町へ行って馬を買ってきて貰えませんか?シーツの取り替えは、今日は妻がやってくれるそうですから」
「あの、大変申し訳ないのですが、私は馬の目利きに自信がありません」
「いや必要ありませんよ。乗馬用の馬ではなく、馬肉用の馬ですから」
「馬を丸ごとですか?」
「ええ、捌くのはこちらでやりますから。5頭程買ってきて下さい」
 私の脳裏に、市場によく居る腹の突き出た肉屋が、重そうな鉈を軽々と片手に持って肉を捌く姿が浮かんだ。
 主人と夫人のどちらがやるのだろうか?
 そんな事を考えている私を他所に、主人は二階からトランクを下ろしている仕立屋に、私を町の近くまで運んで貰えないかと頼んでいた。

 森を抜けるまでの道中、私達は狭い御者席に座って、長年の親しい友人のように語り合った。
 森の入り口に着くと、私は馬車から降りた。
「町まで送っていきますよ」
「いえ、此処まで来れば歩いていける距離ですし、わざわざ私の為に反対の道を行かせるなんて恐縮です」
 すると仕立屋はトランクから三冊の本を出すと、
「首都にいらしたら、ぜひ私の店にも顔を出して下さい」と言って、私にそれを餞別としてくれた。
 昨夜、仕立屋が好んでいると言っていた作家の著作であった。
 私達は互いに別れを惜しみながらその場を去った。

 町に入ると、私は町人の態度の突然の変貌に驚かされた。
 町が見えてきた時にはあれ程活気付いているように見えたが、私が其処へ加わると、まるで黒死病者が現れたかのように一瞬にして町人の顔は壁と化してしまった。
 誰も言葉を交わさず、歩くことすら放棄したかのように直立し、黙ってこちらを見ている。
 先程あんなに愉しげに走り回っていた幼い少女ですら、屋敷の少年のようにこちらを凝視している。
 私は通りに面した、小さな肉屋のカウンターの奥に居た店主に、馬肉用の馬を売って貰える人はいないかと訊ねた。
 店主は私を睨み付けるような目付きで見返しながら、何も答えずにふてぶてしく更に奥へと引っ込んでしまった。私は自分は此処では余所者だからこのような態度を受けるのだろうと、己を慰めた。
 店の傍に居た女性達にも訊ねてみると、女性達は一様に通りの向かいに立っていた男を指差した。
「あの、すみません。馬肉用の馬を五頭欲しいのですが、売って貰えませんか?」
 男は何も言わずに歩き出した。
 売ってくれるのかと思い、追いかけようとすると、男は恐ろしい形相で私を睨み付けた。
 私はその男の表情に萎縮し、立ち止まってしまった。
 男は私が来ていないか何度も振り返りながら何処かへ消えてしまった。
 町人は相変わらず不動でこちらを見ている。
 私は諦めて帰ろうとしたその時、先程の男がどこからともなく、五頭の馬を連れて現れた。
「有り難うございます。お金はこれで足りますか?」
 私が主人から貰った金貨の入った袋を差し出すと、何と男は私の目の前で十字を切ってからそれを受け取ったのである。
 私は必死で彼を殴ろうと戦慄く拳を抑えた。このような侮辱を受けたのは生まれて初めてだった。
 男は袋を受け取ると、金額を確かめもせずに去って行った。

2007年10月31日