あるサロンで語られた体験談 2日目
翌朝、私は振り子時計の鐘の音に無理矢理起こされた。恐らく、下の部屋にでも置かれていたのだろう。
私は睡眠を欲し、閉じようとする瞼を必死に開けながら、身支度を済ませた。
カーテンを開けると、雲が地に這っているかのような曇り空の天気だった。
部屋を出ると、この屋敷の住人達はまだ眠っているらしく、物音一つ聞こえない。
外に出ると、冷たい空気が私の肌を覆った。
傍の井戸で顔を洗い、ようやく目を覚ました私は自身を奮い立たせ、小屋から必要な物を持つと、颯爽と墓場へ向かった。
夫人から墓場と聞かされていたが、私は近付くにつれて驚きを隠せなかった。
十字架や四角型にものが30ほど、規則的に並び、墓石には苔一つ生やさず、綺麗に磨かれている。どれも地下に石室があると思われる、立派な墓だった。
亡くなって日が浅いのかと一つ一つの墓石に刻まれている碑文を読んでみると、そういう訳ではないらしい。
はるか150年前の墓もあれば、2年前の墓もあった。
先祖を敬う習わしがあるのだろう、私はそう考えながら、雪のように降り積もった落ち葉を箒で掃いていった。
掃き集めた落ち葉を、タイルが剥がれて地面が剥き出しになっている墓地の隅で燃やそうとマッチを擦ったその瞬間、私は再びあの強烈な視線を背後に感じた。 凍りついた背筋の向こうを振り返ると、いつの間にかあの少年が立っていた。
今日は南瓜を被っていないため、その独特の白い目がはっきりと見える。
「お早うございます。随分とお早いんですね」
私はなるべく恐怖心を少年に悟られないよう、にこやかに笑いかけたが、少年は返事を寄越さない。
火がマッチ棒を燃やしていることに気付かなかった私は、突然の熱さに思わず大声をあげてしまった。
灰へと化身するマッチ棒は、落ち葉の山に下り立つと、やがてくすぶった煙を吐き出させた。
「すみません。急に大声を出してしまって。吃驚させてしまいましたね。今、落ち葉を燃やしているので、あんまり近付くと危ないですよ」
「・・・・・・・・・・・・」
私は段々、この場にいることに耐えられなくなってきた。
私の心の内を悟ったのか、少年は急に背を向けると、いきなり走り出した。
私は杖も持たずに走るその少年に危ないと叫んだが、少年はつまずきかけることも無く、動物のように身軽に屋敷の方へと走って行った。
朝食後、台所で食器の片付けをしていると、何か小さな声が聞こえてきた。
大方鼠だろうと思って、声の正体を探してみると、どこから入り込んだのか、食器棚の下段にある戸棚の奥で、鼠捕りの罠に嵌って暴れている栗鼠がいた。
私がこの栗鼠を放してやろうと、鼠捕りの針金を外そうとしたその時、私から鼠捕りを取り上げる手があった。
一瞬、またも少年かと思ったが、主人だった。
「旦那様、この栗鼠でしたら、私が後で遠くにでも放してやりますから」
そう言うと、主人は意表を突かれたような顔で「何故?」と言った。
「何故って、罠にかかっているのは鼠ではなく、栗鼠だからです。栗鼠は鼠のように病原菌を持っていないでしょうから」
「だがこの栗鼠が倉庫で何も食べなかったとは言い切れないでしょう?」
「ええ、確かにそうかも知れませんが・・・」
「たとえ栗鼠であろうと、勝手に倉庫で盗み食いすることは許されませんよ」
主人はそう言うなり、激痛に身を震わせる栗鼠の尻尾を掴むと、私が止める間すら与えずに、勢い良く調理台に叩き付けた。
“ブギョッ”と、肉と骨が砕ける音が響き渡った。
調理台の淵から血が垂れ始め、引き戸の上を滑って行く。
私は目を逸らそうとしたが、外から聞こえてくる鳥の鳴き声が妙に非現実的で、瞬きすら出来なかった。
主人がゆっくりと尻尾を持ち上げた。
潰れた頭部から流れる血が、床の上にしたたり落ちる。
「また調理台を汚してしまった。妻に叱られてしまうな」
主人は苦笑いしながらそう嘆いたが、私は返す言葉が無かった。
主人が手の内にあるモノを持って外へ出て行こうとしたので、私はすかさず「自分が捨ててきます」と主人の返事も聞かずにひったくると、走って出て行った。
外に出、小屋にあったシャベルで穴を掘ると、私はそこに哀れな様と化してしまった栗鼠の死体を埋めた。
井戸から汲んだ水で鼠捕りを洗っていると、板には古い血痕がいくつもこびり付いていることに気付いた。
午後、夫人の薔薇摘みを手伝っていると、門扉の開く音が聞こえた。
見ると、一頭馬車の御者席に座った、ちょび髭を生やし、上等そうな服を着た中年男が「今日は」と帽子を手に取りながら挨拶した。
「今年も来て下さって有り難うございます」
夫人は作業の手を止め、私に男の荷物を運ぶのを手伝うよう言うと、主人を呼びに屋敷へと入っていった。
その男は首都に店を構える仕立屋だと名乗った。
毎年この時期になるとパーティーの為の礼服を届け、一晩泊まっていくそうだ。
仕立屋と一緒にトランクを持って二階にある夫人のパウダールームへ入ると、私は奇妙なものを見た。
三面鏡や化粧台のある部屋の片隅に20個程の頭部の無いマネキン人形が置かれており、その一つ一つの首に夫人とは違う名前が書かれた札が掛けられていたのである。
「この札は何を意味しているのですか?」
私がマネキン人形にドレスを被せてゆく仕立屋を眺めながら訊ねた。
「ああ、これは此処のお屋敷の親戚の名前だそうですよ」
「親戚?」
「ええ、年に一度この屋敷で開かれるパーティーがあって、親戚一同が集まるそうなんです。そのパテーティーでは主催者である旦那様と奥様が参加者一人一人のために、パーティーで着る正装を用意して迎える習慣があるらしいんですよ」
「毎年一着一着、違うデザインのものを用意するんですか?」
「勿論です。その年の流行を取り入れたデザインにするのです。御陰で店は大助かりですよ」
私は感心すると共に贅沢な習慣があるものだと思った。
着替えの為にわざわざ作られたのかと思う程家具がろくに置かれていない主人の部屋へ行くと、其処にも部屋の隅に30程のマネキン人形があった。
私は少し世間話をするような感覚で仕立屋にあることを訊ねた。
「そう言えば、此処の旦那様は何のお仕事をなさっておられるのですか?」
「え、御存知ないんですか?」
仕立屋は驚いたように聞き返した。
「私は昨日此処へ来たばかりですから」
「おやそうだったのですか。いやぁ、でも実を言うと私もよく知らないんですよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「しかしこれだけの屋敷をお持ちになって、毎年私の店に仕事を与えて下さるくらいですから、金融屋か資本家じゃないですかねぇ。でも給仕は貴方一人だけなんでしょう?」
「ええ、他の人は見ませんね」
「まあ、パーティードレスも馬鹿にならない値段ですし、節制しているのかも知れませんね」
その夜の夕食も昨夜と劣らないくらい豪華だった。
仕立屋は長年の付き合いでか、少年には慣れているらしく、少年をあまり気にも留めずに私達に首都で今流行しているファッションや、先月開かれた有名画家による展覧会で見てきた作品について一頻り話していた。
食後、私が食器の後片付けを終えると、二階から下りてきた夫人の誘いにより私が二階の応接室に行くと、主人と仕立屋が既に居り、暖炉の火に顔を照らしながらウィスキーを飲んでいた。
二人の強い勧めにより、私は初めて味わう強い感覚に身を任せながら、お互いが好む小説家について語り合った。
11時を過ぎた頃、ふらつく足でようやく部屋に戻ると、私は上着だけ脱ぐなり、そのまま寝入ってしまった。
その夜、私は再び窓をたたく音に起こされた。
昨夜と同じように巨大な蛾が二匹、その両羽を窓硝子に叩き付けていた。
私がその蛾を追い払おうとしたその時、窓から見える黒光りする森の中から突如一羽の烏が現れた。
ぼんやりとその烏を見ていると、烏は真っ直ぐ私の方に向かって飛んできた。
私は窓硝子が割れると思い、身を構えたが、烏は上手に窓の桟に降り立つと、その鋭い嘴で逃げもせずに暢気に飛んでいる蛾の一羽の身を突いた。
蛾の柔らかい身はいとも簡単に裂け、中からドロリとした液が流れ出た。
烏に突かれた蛾は窓の桟に落ち、無惨な姿を晒し、烏はもう一羽の蛾の身にもその汚れた嘴で裂いた。
私は阿呆のように口を開けながら、黙ってその烏の食事風景を見ていた。
2007年10月31日