ボーカロイドに恋してる

  息を吐き出す。この“行い”をする時はいつもこうだ。
 動悸が高まるせいか、自然と息苦しさを感じてしまうのだ。
 防音の壁で囲まれた部屋とは言え、外部の音は少ない方が好い。電話のコンセントは外した。携帯電話も電源を切ってある。
 邪魔が入らないよう、ドアを閉め、さらに鍵をかける。
 スピーカーの向きを再度確認する。
 念には念を入れねば気が済まない。
 再び息を吐き出す。
 ケースからCDを取り出し、オーディオコンポのテーブルに乗せる。
 CDの重みを察知したテーブルが自動的に後退し、楽曲が再生された。

 360度、自身を囲むスピーカーからイントロが流れ始めた。
 より、彼女の音を感じられるよう、布を巻いて目隠しをしているが、最近はイントロを聴き始めると彼女がドアを開け、部屋に入ってくる様子が目に浮かぶ。
 だがそのイメージ化された彼女の幻は、イントロからメロディに切り替わった途端に消えてしまう。
 メロディが服の上から身体を触ってくる。
 音符が、ワイシャツの袖や襟を触る度に、布が肌を撫でる。
 肌を擦られる触感を楽しみつつ、衣服を脱いでいく。いや、緩やかに流れる“メロディ”が脱がせているのか。
 メロディと、脱がされた服が床に落ちる音が入り混じった音を聴くと、強い解放感に浸されると同時に、更なる息苦しさが感じられた。

 メロディからサビへと切り替わる頃には、何一つ身に纏わない姿となった。
 サビが流れてきたが、音という名の口腔の中で飴玉を転がすかの如く、音符に舐めつくされるその快感に窒息しそうになる。
 四方を囲むスピーカーから、サビを構成する音符たちが全身を余すところなく撫で、擦り、締め付けてくるのだ。
 彼女の吐息、声音、連なる音符が、この身を呑み込まんばかりの勢いで襲ってくるのだ。
 だが、それを怖れる必要は全く無い。
 何故なら、生身の肉体を相手にしているだけでは得られないエクスタシーへと導いてくれると信じているからだ。その信頼度は、生まれたばかりの赤子が当たり前のように生母の乳房を求めるに等しい。
 サビの流れが徐々に高音へと至るにつれ、再び現れた彼女の幻や、色とりどりの曲線、水玉模様が爆発する光景に溺れ、激しく脳が揺さぶられる。

 サビ・メロディが一拍、途切れた。
 その一瞬後、幻影は消え去り、身体が崩れ落ちた。

 穏やかなラストサビに起こされる。
 エネルギーを使い果たしたため、まだ気だるさが残っている。
 その時、軽やかに部屋から去る彼女の足音が聞こえた。

あ と が き
 ボカロ・キャラを好む人達は、人工声合成ソフトをイメージ化した、あのキャラクターが好きなのか?それとも、人工声合成ソフトそのものが好きなのか。
 自分はどちらが好きでもそれは当人の好みだとは思うけれど、イメージ・キャラクターを性的対象として扱ったものを見ると、単に人間と同じ機能を付けただけのものが多い気がする。そういうのを見ると、「これじゃボーカロイドじゃなくて、ただのセクサロイドじゃないか」と思ってしまう。
 彼らはセックスが出来るアンドロイドではない、そもそもそういう行為をさせるためにイメージ化したのではないだろうに・・・。歌うアンドロイドなのだ。
 ボーカロイドの本質は、彼らの歌声にある。
 もしもボーカロイドたちを愛し、性的対象とするならば、それこそ彼らの身体ではなく、声そのものが対象となるのではなかろうか。
 そう考えてこうなったのです。
 一応、男を想定して書きました。男を選んだ理由は、その方が変態度が増すからです。

2012年2月29日

残された道

 「書けないんだ、1行も」
 作家は深く椅子の背にもたれながら呻いた。
「何も思い浮かばない。映画の結末からその後の展開を想像することさえ出来ないんだ」
 担当編集者は戸口に立ったまま、黙って作家の嘆きに耳を傾けている。
「最初はただのスランプだと思ったんだ。以前にも一度スランプになって、何も書けない時期があった。今回もそうだと思って、映画や演劇を観に行ったり、散歩をしたりと気長にアイデアが浮かんでくるのを待っていた」
 作家は両手で顔を覆った。
「そう思って3年も過ぎてしまった。近頃は他の作家が書いた作品の批判ばかりしている。何も書けない自分の身を棚に上げて、彼らの文才を批判することでプライドを保っているんだ」
 両手の指の間から作家の呻き声が漏れる。
「それなのに、何故君は足しげく来るんだ?他の出版社の人間は、とうに手紙すら寄こさなくなったというのに」
 作家が振り向くと、編集者は微笑んで、
「勿論、先生が次の作品を書いて下さるのを待っているのですよ」
と、答えた。
「君はそう言うがね、何も浮かばないんだ。最早、私の作家としての生命源は枯渇してしまったんだ。今の私には、こうやってただ黙って朽ちていくしか道は無いんだ」
 作家は駄々をこねる幼児のように両腕を大きく振り回した。
「何を言うのです。先生にはまだ残されている道がもう一つありますよ」
 編集者は作家の後ろに立ち、その両肩に手を置いた。
「もう一つの道・・・?」
 作家は疲労の色を張り付けた表情の奥にある瞳に微かな光を宿した。
「そうですよ、書けない苦しみすら感じることもない、“永遠の安息”を得るという道が・・・」
 作家の瞳から光が消えた。

あ と が き
 何も書けない・描けないとは、どのような状況下であれ、現況の己について、何一つ表現できないということ。

2014年7月27日