指
会社の受付嬢をしていると、日々、様々な人間が私の前に現れる。
新規の営業口を求め、笑顔で名刺を置いていくのだ。
彼らが置く名刺を見やると、自然と指先が目に入る。
どの指も、虫唾が走るような指ばかりだ。こんな汚らわしく、醜い指で女性の身体を触っているのかと想像すると、ブラシで直に皮膚を擦りたい気分に駆られる。そう、擦りすぎるあまり、血が出る程に!
ぶよぶよとした何本もの指で弄られて悦ぶ女の気が知れない。
何かを言われたような気がしたが、言葉が耳に入らなかった。
白く、小さい紙に置かれた指先しか目に入らなかった。
これまで探し求めていた、理想の指が遂に現れたのだ。
顔を挙げると、指の形に反して、眉目麗しい顔立ちとは言えない容貌の男だった。
男が望む訪問相手の名を告げられ、内線電話をかけながらも、私の全身は恐怖で震えていた。ここで逃してしまえば、一生再会することはないのではないかという恐れだった。
男に部署への行き方を告げると、男は無愛想な態度でゲスト・カードを受け取り、エレベーター・ホールに向かっていった。
あの美しい指で頬を撫でられ、服を脱がされるのだ。そして、私の身体を覆う皮膚の全てが、あの男の指によって蹂躙されるのだ。
嗚呼、何という悦楽!
この男の指に犯されることで、私はようやく女になるのだ!
白昼夢の快楽を夢想する私には、もはや何一つ聞こえはしなかった。
男がゲスト・カードを返しに来た。
私は珍しく、男に声をかけた。普段は煩わしいので、決してすることはない。
同僚である隣の受付嬢が驚いたような視線を向けているが、構っている暇はない。
この求め続けていた男を失うこと以外に、何を恐れることがあろうか。
あ と が き
バレンタインへの嫌味のつもりで書いてました。
どんな指を理想とするかは、皆様のご想像にお任せします。
2011年2月14日
一ヶ月
「俺は、此処を出たら1週間くらいぶっ通しで眠りたい」
隣のマットの上に横たわっている男が、そう口にした。
「家族との再会を味わってからだろう?」
どこからともなく、男の発言を揶揄する声が聞こえた。
「そんなものは、起きてから幾らでも出来る事さ。まずは睡眠だ」
男の妙な意気込みに、周囲から失笑ともとれる声が響き渡った。
「せめて風呂に入ってから寝ろよ。その方が後で家族から文句を言われずに済む」
「ふん、俺は独り身だからな。文句を言われる筋合いはどこにも無い」
その遣り取りを切っ掛けに、あちらこちらから『この仕事が終わったら何をしたいか』についての会話が始まった。
ふと、手元のビスケットを見遣った。
僅かな量しか配給されていないため、一度に食べる枚数を節約しなければならず、空腹を紛らわすには不十分だった。
此処を出たら、一生ビスケットを口にすることはないだろう。
そう考え、やや湿気った最後の一枚を口に放り込んだ。
再び揺れが始まり、建物が僅かに音を立てた。
「俺は寝るぞ。一週間は寝てやる」
隣の男が怒鳴るように言った。
震災から一カ月が経った。
未だに此処での作業は終わっていない。
あ と が き
早く、危険な現場ではロボットが活躍するのが当たり前となる日が来ますように。
2011年4月11日