O7. CAST THE FIRST STONE

 男の言葉に女は困惑顔になり、視線が急にふらふらと彷徨いだした。それに対し、アダムと名乗った男は女の答えを聞き漏らすまいと、女の顔を真剣な眼差しで見つめている。
「ふはっ!」
 遂に女は耐え切れなくなったらしく、奇妙な声をあげた。
「まあ落ち着きなさい、ミスター。私を散々痛めつけたゆえに気分が高まっての失言は聞き流すからさ、早く羽毛ベッドに潜り込んで寝たら?」
 女は嘲笑を浮かべ、不揃いに切られた黒髪の一房を指先でつまみながら言った。
「私は心の底からの真意を伝えたつもりでしたが、あなたにとっては失言でしたか?」
 男の青い瞳に憂いが宿る。
 女が目を細め、
「私の作品を好きだなんて、高そうなスーツを着た人が言う台詞ではないね」
と、吐き捨てるように言うと、アダムは頭を左右に振り、
「美を感じる心に貴賤はありませんよ」
 ますます表情に憂いを帯びる男に、女は引き攣った笑みを浮かべつつ、テーブルの上の煙草の焦げ跡を爪先で何度も引っ掻いた。
「穏やかな聖母子画も、猟奇的な残酷画も、その根底には美しさという共通点があります。どちらが最も優れているのかを比較するなんて愚行は、己の無教養を晒すようなものです。圧倒され、心惹かれたからこそ、その作品は絶賛され、大切に遺されているのです」
「えーと、つまり、あなたは私の作品に古典作品の美と同じように感激したと。そう言いたいわけ?」
「そうなのです。それまで残酷画にはあまり興味が無かったのですが、あなたの作品と出会ったことで、残酷さの中に美が潜むことを知りました」
 焦げ跡を引っ掻く音が止んだ。
「そもそも、私の名前を何処で知ったの?」
 女が己に質問してくれたことが嬉しかったのか、アダムは一転してにこやかな笑みを見せた。
「切っ掛けは、貴方が学生時代に書かれた論文を読んだことです。承認欲求と犯罪行為の関連性について。とても興味深い内容でした」
「興味深いねぇ。犯罪者更生施設の入所者に質問用紙を配って回収した結果を載せただけの論文に、そこまで思う程の価値があるとは思えないけれど」
「謙遜ですか?あなたのお国柄が表れてますね」
 茶化されたことに更に腹を立てたのか、女は口を閉じたまま唇を横に伸ばし、不満の意を示した。
「人間は誰しもが承認欲求を抱いている。その承認欲求を満たすべく、人は何らかの社会的つながりを求める。多くの場合は社会的に受け入れられやすい方法で承認欲求を満たす。では社会的に禁じられている犯罪を行う快楽犯罪者は、何からの承認を望んでいるのか。あなたの論文データでは、近親者からの承認を望んでいるという回答が最多でしたね」
「・・・私も、近親者からの承認を得ようとして犯罪者になったと言いたいの?」
「そこまでは判断しかねますが、凶悪犯罪は一番大きな注目を浴びる機会が得られることは確かですね。私は調査協力した彼らが承認と注目を混同していることに憐れみを感じるよりも、近親者からの承認を得たいという気持ちに深く共感したのです」
「一応あの論文を書いた身として訊くけれど、あなたとあなたの近親者との関係は良好ではなかったの?」
「最も良好な関係であったと思いますよ」
 アダムは静かに微笑んだ。
「ただ、お互いに接する時間が少なかったことが影響したのか、母から十分な愛を受けたとは思えないですね。父は私が生まれる前に亡くなり、母も私が子供の頃に事故で亡くなりましたから。まあ、母が今も存命であったとしても、十分に愛されていると感じるかどうかは別ですがね」
 アダムはそう言って、冷めたコーヒーを口にした。
「もちろん、初めて論文を読んだ時は、あなたとお会いし、犯罪心理についてのお考えをもっと詳しく聴きたいと純粋に思っておりました。私も犯罪者の心理には興味がありましてね。独学ではありますが、専門の文献は欠かさずチェックしているのです」
「自分と遠くかけ離れた思考を持つから、犯罪者が気になるんでしょう?気味悪がりつつも寄生虫の特集番組を観る人々と同じよ。人間がある日突然寄生虫にならないように、自分も犯罪者にならないと思い込んでいる」
「随分と辛辣な御意見ですね」
 男が楽しそうに笑い、女はますます苦々しい表情になった。
「あなたと連絡をとろうと論文を発表された大学の教授に問い合わせたところ、行方不明であることを知り、俄然興味が湧きました。ようやく探し当てた時、あなたは既に犯罪者の仲間入りをしていたことを知りました」
「ふーん・・・。それで? 何故警察に通報しなかったの?」
「言ったでしょう? 私はあなたの“作品”に惚れたのです。少し前に起きた連続ホームレス殺害事件。私があなたを見つけた時、あなたは3人目のホームレスを“加工”している時でした」
「まさかあんな“習作”に惚れたというの?」
「“習作”なんで言葉で片付けないで下さい。あの初期作品が教会の“マリア”やレストランの“食卓”に繋がっているのだと思うと、一層美しさを感じるのです」
 男の熱のある言葉に女は驚き、半ば呆れた。
「作品に惚れた気持ちが、何故作者を蹴り飛ばすことになるのよ?」
「あなたは、紳士ぶってドアをノックしてパトロンになることを申し出た人を信用する方ではないでしょう?」
「よく観察なさったこと」
 女は大きな溜息を吐いた。
「ところでスクエア公園地区の教会から13人の子供が誘拐された事件は御存知ですか?」
「ニュースでそんなことを言っていたわね」
「そのニュースでは正確な人数を発表していましたか?」
 アダムの問いに、女は視線だけを動かした。
「さあ、どうだったかしら?最近もの覚えが悪くて」
「警察の報道管制が徹底しているならば、どの局も曖昧な人数しか発表していないはずですよ」
「報道管制は犯人を刺激しないためかしら?」
 女の推測にアダムは意味深長な笑みを浮かべた。
「私の手元には13匹の子羊と一人の羊飼いが居るのですが、それらをあなたに差し上げようと思うのです」
 女は相変わらず視線だけを男に向けていた。
「不要であればこちらで処分します。勿論、あなたに一切迷惑が掛からない形で。その上、あなたの御望みとあらば、私は今後一切あなたと関わりません。道ですれ違うことも無いと思っていただいて結構です」
「随分条件が好いのね」
「あなたの作品にかける情熱を大切にしているからこそ、ですよ」
 男は不敵に笑った。
「丁度9時ですね。GCNが放送しますよ」
 男が左手首に着けた腕時計を見ながらそう言ったので、女は店の奥に鎮座する旧式の箱型テレビに顔を向けた。
 白髪交じりの男性ニュースキャスターが夜の挨拶を述べる。
「スクエア公園地区の教会で起きた、白昼の誘拐事件について続報です。先程、GCN局に一本のビデオテープが届けられました。ビデオテープの内容から、送り主は今回の誘拐事件の犯人と思われます」
 CGで背景を彩ったスタジオから、送られてきたというビデオテープのVTRに切り替わった。
 13人の子供と中年の神父が一糸纏わぬ姿でカメラのまえに立たされている映像が流れると、店内に居た人々が呻き声を漏らした。
「映像は5秒程の短いもので、音声は記録されておりませんでした。当局スタッフはこの映像を確認後、直ちにゴッサム市警に通報しました。現在はゴッサム市警からの発表を待っております」
「またピエロ野郎に影響された奴なのか?」
 ニュースキャスターが次のニュースを読み上げ始めると、店内に居た客の一人が誰に問うでもなく、大声で言った。
「一人の人間を誘拐するならまだしも、14人だぜ? その内の13人は子供だ。これはマフィアかカルト集団か、とにかく大掛かりな組織なんじゃないのか?」
 犯人の正体や動機について語る素人探偵が次々と生まれる店内を、女はつまらなさそうに眺めている。
「宝物は何処に隠してあるの?」
「此処からさほど遠くない場所に」
「見せてくれと言ったら、見せてくれるの?」
「あなたの意のままに従える用意をしております」
 女はゆっくりと男に顔を向けた。

 アダムが案内した場所は、二人が居た店から数ブロック歩いた先にあった。
 手入れされていない集合住宅とも廃墟とも言えぬ崩れかけた建物が立ち並んでおり、二人はその中の建物の一つに足を踏み入れた。
 裏通りで孤独に立つ街灯の灯りもろくに差し込まない建物の中を、アダムがポケットから取り出したペン型の懐中電灯で照らすと、元は何かの製造工場だったのか、何本もの巨大なレーンが物言わずに横たわっていた。
「私が持つよ」
 女が手を差し出したので、アダムは女に懐中電灯を手渡した。
「この奥ですよ」
 アダムが指し示したレーンの奥を、女は懐中電灯で照らしてみたが、小さな灯りゆえ、何があるのかは判らなかったが、女は何も言わずに歩き始めた。
 女の後ろ姿を見つめ、アダムは「楽しそうですね」と声をかけた。
「そりゃあね、“実物”が見られるんですもの」
 女は足元に転がっていた空き瓶を軽く蹴りながら答えた。
「テレビのドキュメンタリー番組で放送されていたサバンナの動物を見るために動物園へ行くような気持ちね」
「この先、あなたを殺そうとしている人が待ち構えていると、お考えにはならないのですか?」
 アダムが訊ねると女は立ち止まった。女が蹴った空き瓶が暗闇の中へ飲み込まれるように転がって行き、彼も立ち止まった。
「よく映画やドラマで言うでしょう?『私を殺すつもりなら、既に殺している』って」
 懐中電灯の灯りは二人の行き先を照らしたままなので、男には女の表情は見えなかった。だが、女が答えた内容にアダムは満足したのか、
「確かに。あなたが死んでしまっては、新作も見られなくなってしまいますしね」
 女は振り返り、含んだような笑みをアダムに見せ、再び歩き始めた。
「その扉の向こうですよ」
 アダムの声につられ、女は懐中電灯の先にあった扉に注意を向けた。
 その扉は横幅も高さがもメートルはありそうな巨大な鉄扉だった。懐中電灯の明かりを反射する扉の表面は少し古びてはいたが、頑丈そうである。
「元々は業務用の冷蔵庫として使われていましてね」
 アダムはそう言って扉の前に立つ女の隣に立ち、杖の先で鉄扉をノックした。
 扉の向こうから重い金属部品が動かされたような音が聞こえたかと思いきや、扉がゆっくりと奥へ開かれ、真っ白な光が二人の視界を覆った。
 女が眩しさに目を瞬かせ、白光の世界に慣れると、床に座り込んでいた彼らの視線にようやく気付いた。
 女はしばらく呼吸を忘れたかのように、その“実物”を見つめ返した。やがて大きく息を吐き出し、傍らに立つアダムに、
「近付いていい?」
と、訊ねた。
「遠慮は無用です。あれはあなたにそっくり差し上げるつもりで用意したのですから」
 アダムの言葉に、女の口元が僅かに緩んだ。
 その“実物”は一糸を纏わず、機関銃を持った大柄な二人の白人と黒人の間に挟まれ、怯えた表情を浮かべていた。
 女は一歩、彼らに近付いた。
 背後で扉が閉められた。
 女が振り返ると、扉の傍には帽子を被った無精髭を生やした、長髪の男が立っていた。
「あんた、教会に来た人だろう!?」
 突然の大声が狭い庫内に響き渡った。大声の主は、“実物”の一人である神父だった。
 神父はアダムを指差し、叫んだ。
「あんたが何者なのか、何の目的でこんなことをしたのかは問わない!だが、子供たちだけは見逃してくれ!私の身体を切り刻もうと、何をしようと構わない!頼む、この子たちだけは解放してくれ!」
 神父に気圧されたのか、子供の一人が泣き出し、やがて他の子供たちも愚図り始めた。
 腕を組み、子供たちの泣き声と神父の哀願に不機嫌そうな顔で女は彼らに近付いた。アダムも隣に並んで立った。
「何をする気なんだ!?」
「そうだなあ、今思い付いた案としては、子供同士の乱交セックス映像でも撮って、その筋のマニアに売るというものなんだけれど、その案だとあなたの出演が邪魔になるのよね」
 真面目そうに答えた女に、神父は身震いした。
 その時、女の傍に座っていた男児が急に女に飛び掛かった。脚を掴まれ、女はバランスを崩しかけたが、瞬時にアダムが手にしていた杖を奪い、男児の腹に打ち付けた。神父が神の名を空しく呼んだ。
 腹を押さえ、蛙のように蹲る男児の首に女は片足を置くなり、力を入れて踏みつけた。
「・・・!!」
 男児の口から息の塊が漏れた。必死に女の脚を除けようと手足を動かすが、女は容赦なく、杖の先で男児の手足を荒々しく小突き、遂に首が折れた。
 女が足を動かす度に、男児の身体は反動で揺れ動いた。
 ようやく男児の首から足を下した女はアダムの方を振り返るなり、開口一番、
「失礼、杖を断りなく使って」
「構いませんよ、少しの間なら杖が無くても立っていられますので」
 女がアダムに杖を返すと、
「な、何ということを!」
 神父が怒りに身を震わせ、立ち上がった。
「子供たちを誘拐し、こんなにまで怯えさせた挙句、殺してしまうなんて!」
 神父が聖職者にあるまじき言葉を吐き散らす様を、女とアダムは醒めた目で見ていた。
「ねえ、本当に私の制作活動を支援してくれるの?」
「ええ、神に誓って」
「ふうん」
 神父はまだ喚いている。
「アダムと言ったわね。私のことはこれからはジグと呼んで」
 女はそう言って微笑んだ。

2015年11月29日