03. MARIA

 「マリア様だと思ったんだ。マリア様が私の前に現れたのだと・・・」
 虚ろに空を見つめ、何度も同じ言葉を呟き続ける神父をマジックミラー越しに観察するゴードンは、
「警官が到着した時から、ずっとあの調子なんだ」
と言った。
「テレビのニュースで現場の写真が流れていたが、警察が発表したのか?」
 部屋の隅の暗がりから声をかけられたゴードンは首を左右に振り、否定の意を示した。
「過激なテレビ・リポーターが入り込んだらしくてね。部下達は事件よりもその事で大騒ぎしている」
「発見された三人の身元は?」
 暗がりから再び声が発せられる。
「三人とも、イタリア系マフィアの下っ端のようだ。麻薬課からの情報では、三人はどうやら麻薬取引に関わっていたらしい」
「ここに写っている二人の男を知っているか?」
 暗闇から差し伸べられた黒い手には、一枚の写真があった。
 ゴードンはそれを受け取り、隣室からの明かりの下にかざした。
 暫く写真を眺めていた彼は、やがて振り返り、
「何処でこれを?」
と訊ねた。
「一ヶ月前、十番街にあるクラブの中に居た。最初は女でも買おうとしているのかと思ったが、唇の動きから薬について話していることが判った。取引については最後まで触れていなかったので、写真を撮っておくに留めたが、もう少し注意しておけば・・・」
「気に病んだって、起きてしまった事はしょうがないさ。この二人の男は知っている。確か、三日前に死体で発見された」
「・・・殺されたのか?」
「ああ、車の中で何者かに射殺されたようだ。だが、この二人の男が乗っていた車からは不審な物は何も見つからなかった。着ていた服の内ポケットに入っていた財布にも手をつけていないようだから、今のところ、コイツらが売人なのか、買うつもりだったのかは不明だな」
「二人の男が殺されたということは、マスコミは知っているのか?」
「一応はな。だが小さい事件と判断したのか、報道しているのはネットの小さいニュース報道社ぐらいだ」
「ならば直ぐにテレビ局に、二人組の男が三日前に殺された事件を流すよう伝えてくれ」
「おいおい、本気で言っているのか?二人組の男と、今朝見つかった三人との関係がまだ判っていないんだぞ。もし互いに敵対しあう組織だったら、抗争が起きるかも知れない」
 責め立てるゴードンに、暗闇と同化するかのような影が一歩前に進み出、むっつりと、
「二人組の男が何の目的で殺されたのかは、推測の域を出ない。だが、あの三人は二人組の男が所属する組織に殺されたとは思えない」
「どういう意味だ?」
 いぶかしげなゴードンに、暗闇の影は一枚のDVDを渡した。
「今日の午前1時、ネット上に流れた動画だ。この中に、あの神父の言う“マリア”が映っている」
「・・・それで?」
「このビデオの撮影者は、どこかの組織の名称ではなく、はっきりと私の名を口にし、挑発していた」
「・・・・・・・・・・・・」
「撮影者は、始終カメラを“マリア”に向けていたので、顔は判らない」
「麻薬取引に第三者が介入したということか?もしそうなら、今頃は血眼になっているマフィアの連中よりも先に、その撮影者を見つけなければならないな」
 そう言って影の方を振り返るが、そこには誰も居なかった。
 ゴードンは再び手元の写真を見遣る。
 写真には、三日前に発見された麻薬取引の二人の男が、“マリア”と話す様子が写されていた。

 『今朝未明、オーク通りにある教会の神父が、講堂内に三人の男女の死体があるのを発見、通報しました。この内、女性の死体はワイヤーで吊るされた状態で立っており、また、遺体の傍には犯人が残したと思われるテープがありました。テープに録音されていた内容は『Give me drugs』のみで、エンドレス設定であったため、発見当初の現場は異様な雰囲気に包まれていました。ゴッサム市警察では、この三人は何らかの事件に巻き込まれたと判断。現在、事件究明にあたっています』
「どうしてクソッタレのマスコミが、現場の情報をあんなに詳しく知っているのか、教えてくれないか?」
 誇らしげな表情をカメラに向ける男性リポーターが映し出されるテレビを、それまで睨み付けていた大柄な体格の男が振り返る。
「まさかマスコミだとは思わなかったんですよ」
 椅子に座る若い男は身を縮ませながら、弱々しく答えた。その言葉に、狭い部屋の中に居た十数人の男達が一斉に囃し立てた。
「こんなところで何をしているんだ?」
 自分の部屋からはみ出るように群がる警官達を押しのけ、ようやくゴードンが目にしたのは、部屋の中央に置かれた椅子に、怯えた表情で座る若い刑事の姿だった。
「吊るし上げです」
 誰かがそう言うと、周囲から失笑が漏れた。
「彼の処分については、私が決める。皆は早く持ち場に戻れ」
 不満そうに警官達が部屋を出て行く様子を見て、椅子に座る赤毛の男、ブライアンは安堵したようだった。
「ハリー、お前は残れ」
 爪楊枝を苛立たしげに咬んでいたハリーは、戸口に向かおうとしていた足を止めた。
「ブライアン、何度も訊かれているだろうが、何故マスコミを現場に入れたんだ?」
 デスクの前に置かれた、古びた革椅子に腰を下ろしたゴードンは、ブライアンの方を向くなり訊ねた。
「現場に入ろうとした時、あの男が近付いてきて、自分は教会関係者で、神父を探しているが見つからない。彼が心配なので、会わせて欲しいと言われました。それで、講堂に行けば神父が居るだろうと思い、彼を現場に入れ、神父の元に連れて行きました」
「・・・・・・あの男を疑わなかったのか?」
 ゴードンが呆れたように問うなり、「辞表で逃げようと思うなよ」とハリーが介入してきたため、ブライアンは再び泣きそうな顔を浮かべた。
「ハリー、君はブライアンにどのような責任のとり方を望む?」
「そうですね、今回の事件を解決すりゃぁ、俺達も少しは気が済みますよ」
「そうか・・・」
 ゴードンは暫く思案していたが、やがて口を開いた。
「ブライアン、君はこの事件を担当しろ。現在担当している事件は他の奴に回せ。ただし、ハリーと組んで解決しろ」
「何だって、コイツと組まされなきゃならねえんだ!?」
 ブライアンの驚きの声は、ハリーの抗議によって掻き消された。
「ブライアンだけでは事件を解決できないだろうから、ベテランの君と組ませるのだ」
 ゴードンの言葉にハリーは地団駄を踏みながら、荒々しく部屋を出て行った。
「・・・・・・あの」
「ブライアン、ぐずぐずしていると、ハリーの雷が落ちるぞ」
 ゴードンの言葉にブライアンは立ち上がった。
「それからな、ブライアン。これを持って行け」
「これは?」
 一枚のDVDを受け取ったブライアンが訊ねると、
「親切な情報提供者からだが、まあ、お前が見つけたとハリーに言っておけ」
と、ゴードンは肩をすくめた。

 「俺じゃない」
 白塗りの男が不服そうに答えた。
「何を根拠にそう言うんだ?」
 再度訊ねると、目の前に座る男は口紅で大きく縁取られた赤い口を歪ませた。
「こんな処で何が出来る?せいぜい白衣を着た“頭でっかち”どもをからかうだけさ」
 傘を被った電球の下に、拘束衣に包まれた身を乗り出したジョーカーを、テーブルの向いに座る男はなおも疑わしそうに見返した。
「今回の件に関するアンタへの疑いが、これだけで晴れたわけじゃない」
 そう言うなり男は椅子から立ち上がり、鋼鉄の扉をノックした。
 廊下に立つ看守が鍵穴に鍵を差し込み、部屋の中に居る男のためにドアを開けた。
 男が部屋を出ようとしたその時、背後から忌まわしい言葉が投げつけられた。
「外は楽しそうだな」

2014年12月7日