02. FUNNY MOVIE

 床の所々を濡らしている水溜りを避けながら、アルフレッドはトレイを傾けることなく、静かに廊下を歩いていた。
 水溜りは、彼が向かう部屋の奥まで続いている。
 ここ数日雨の日が続いていたが、今日は久し振りに晴れ、部屋に差し込む日の光は穏やかだった。窓から見えるビル群の影も暖かみを持っている。
 足元の水溜りは浴室の方へと向かい、そこで消えていた。
 アルフレッドは部屋の奥にあるベッドに目を向けた。
 白い毛布とベッドの間から、片腕が床に向かって垂れ下がっている。
 アルフレッドがベッドの傍のサイドテーブルにトレイを置くと、
「今、何時だい?」
毛布の下からくぐもった声が尋ねる。
「午後4時です」
 毛布が飛び上がる。
「しまった、寝過した!」
 アルフレッドは、毛布の下にいた男の姿を目にするなり、堪え続けていた溜息を吐いた。
「ミスター・ウェイン、今回も『最後に食事を召し上がったのはいつですか?』と私に言わせたいのですが?」
 アルフレッドが皮肉を投げつけるも、
「今日は会社が休みだからといって、一日中寝る予定なんかなかったのに!」
ブルースは頭を掻きむしるだけで、答えない。
「ミス・エリザとの昼食は、勝手ながら断わりの電話を入れておきました」
「冗談言わないでくれ!いくら睡眠時間が少ない日が続いたからとは言え、そんな勝手なことをするなんて!彼女がどういう女か、君もよく知っているはずじゃないか!」
 アルフレッドに八つ当たりしながら、ブルースはクローゼットの扉を開けた。
「ならば、女性とのデートのお約束を減らしていただきたいですね」
 アルフレッドに丸め込まれ、ブルースは忌々しげにシャツを羽織る。
「せめて何か召し上がってからお出かけください。今夜の式典後のパーティーまであと2時間半あるのですから」
 ブルースは大股でトレイの置かれたサイドテーブルに近付き、パンを一切れ掴むなり口に入れるが、すぐさまオレンジジュースで流し込んでしまった。
「・・・・・・・・・・・・」
 アルフレッドは行儀の悪い主人に口を閉ざす。
 ブルースはジュースが入っていたグラスをトレイに戻すなり、バスルームへと姿を消す。かと思いきや、今度は歯ブラシを咥えながら戻ってきた。
 アルフレッドは再び小言を言おうかどうしようか、しばらく考えていたが、ブルースはその気配に気付いたのか、先制攻撃をかける。
「君が何を言いたいのかは判る。だが、人間は時には原始時代に戻らなければならないこともある」
「出来れば、私は原始人と過ごしたくありませんな」
 ブルースはアルフレッドの嘆きを無視し、パソコンの電源を入れる。
 ディスプレイが黒から青い無地へと変わる。
 ブルースは歯を磨きながら、今度はパソコンの傍に置かれたリモコンを手に取り、テレビを点ける。
 周囲を見回すブルースにアルフレッドは「本日の新聞ならこちらに」と何紙もの新聞を差し出す。
 ブルースは礼も言わずにそれをひったくると、ロー・テーブルの上に広げ、紙面に目を通し始める。
「You got mail!」
 パソコンからメールの着信を知らせる、機械的な女性の声が流れた。
 ブルースは広げた新聞を片付けもせず、再びバスルームに戻る。
「見ているだけで目が回るようですな」
 口の中を濯ぎ終えたブルースは、デスクの前に置かれた椅子に座り、新着のメールを開く。


  Dear my fun
   Hi!
  今回も沢山の面白動画情報提供をしてくれてThanks!
  今日の午前1時にネットで流れた、funnyなライブ映像を楽しんでくれ。


 メールの本文の下部には、動画投稿サイトのアドレスから始まるURLが添えられている。
 URLをクリックすると、直接その動画が掲載されているページへ飛んだ。
 動画が自動的に開始される。

 光量の少ない、薄暗い部屋を背景に、全裸の女性が歯科の診察用の椅子の上で仰向けになって横たわっている。
 女の両腕は両側の手摺に縛り付けられていた。
 カメラが動き、女性に近づく。女性の視線が、己に向けられたカメラの動きを追っている。
 カメラの右下から手術用のゴム手袋をはめた右手が現れ、女性の口を塞ぐガムテープに手をかけるなり、何のためらいもなくそれを剥がした。
 唇の肉が引っ張られ、女は喉の奥で叫んだ。
 カメラが揺れ、椅子の足元に置かれたゴミ箱に、丸められたガムテープが放り投げられる。
 カメラは再び女の顔に向き直る。
 女はレンズの向こうを睨むなり、激しく吼える。だがその内容は支離滅裂で、何を言っているのかよく聞き取れない。
 カメラは犬のように叫ぶ女の顔から首元へと下がり、椅子に縛り付けられた女の裸体をゆっくりと撮影する。
 女が大声をあげるたびに身がよじれ、二つの丸みが猥らに動く。
 やがて画面に女の下腹部が現れる。
 再び右下から手が現れ、右手が女の腹部を撫でる。
 手が徐々に女の陰部に近付くにつれて、女は更に奇声を発した。

 アルフレッドは顔をしかめた。この映像の何がfunnyなのか?

 カメラが女の陰部を拡大する。
 手が女の陰部を下から上へと指先で擦り上げると、女の声は泣き声に変わった。
 指先は動きを止め、女の陰部の奥に入り込み、そこから何かをゆっくりと引き出した。
 カメラが大きく揺れる。
 やがてカメラの前に、女から引き出したものが掲げられた。
 白い粉が、小さな四角形の透明なビニール袋に入れられている。女の秘所から出されたため、袋は濡れている。
 手はそれをカメラの前で左右に揺らしながら、呻く様に泣いている女の顔に近付けるなり、女の口にそれを無理矢理突っ込んだ。
 突然口にものを入れられた女が驚き、苦しさを訴えるが、手は女の口を閉じようと、両唇を抑えつける。
 だが女は頭を左右に振ることで抵抗し、口の中のものを吐き出そうともがく。手は女の口を諦めたのか、今度は両頬を掴んだ。
 手が、醜い顔を晒す女の口を動かす。
 画面から、女の声ではない、やや低い、歌うような声が流れた。
「Fuck me, Batmaan!」

 映像が暗くなり、再生された動画の終了を無言で知らせる。
 アルフレッドが言った。
「確かに人間には野生に戻る時があるようですな」
 ブルースはそれにも返事をせず、真っ暗な画面を見つめながら呟いた。
「あの女だ・・・」

2014年12月7日