第六章

 「おかえりなさいませ、ご主人様!」
 ドアを開けた途端に愛くるしい声をぶつけられ、思わず振り向いた先にあった短い丈のスカートに一瞬視線を奪われてしまったた自分を堺は恥じた。
 取引先のチェーン書店に取材を申し込んだ時、それなら適任者がいると言われ、広報課にその適任者がいる店の住所を聞いた時から、ある程度の予想を立て、覚悟はしていたが、その心構えは脆くも崩れ去った。
「あの・・・」
 入店早々、堺のように声が固まる客には慣れているらしく、相手は、
「此処はご主人様の別宅である、『書斎カフェ』でございます」
 にこやかな表情のメイド服を着た少女店員に気圧されつつも、
「ま、待ち合わせで、えと、神田さんはいますか?」
と、やや上擦った声で訊ねた。
「はい、既にご用意は出来ております、ご主人様」
 メイド店員に促され、堺は奥の席にへと足を踏み出した。
 店員の華やかな服装と比べ、店内の内装は天井まで高さがある本棚があちらこちらで壁を作っており、その壁の間には細かな装飾が縁に施されている小さな円卓が幾つも置かれ、革張りの重厚な椅子に座った男性客たちが真剣な表情で本を読んでいる。
「ご主人様、こちらが神田でございます」
 堺はようやく相手に会えてほっとしたのもつかの間、店員の声に椅子から立ち上がったその三十代男の、いかにも執事然とした服装に、一層混乱を来たした。
「お飲み物は何になさいますか?」
 横からの声に、
「あ、え、おすすめで」
と返すと、
「はい、美味しいお飲み物をお作りしますね」
と言ってようやくメイド店員から解放された。
「エリアマネージャーの神田です」
 ご丁寧にも白手袋を着けている手を差し出され、
「堺です。今日はよろしくお願いします」
と、堺は相手と握手しながら挨拶した。
 相手の落ち着いた対応に、かえって堺は意識を切り替えることが出来た。
「ええと、ここは本屋ですよね?」
 神田の正面の席に腰かけた堺が訊ねた。
「そうですよ」
 神田は銀縁の細い四角形のスクエア型眼鏡をかけているせいか、目を細めると、一層目が細く見えた。
「体験型を売りにした本屋です。今日はそういう話をしていきたいなと思ってますので、気になった点がありましたら、どんどん質問してください」
 会話の主導権をインタビュー対象者に握られてしまった堺は、
「ええ、はい、もちろんです」
と、柄にもなく、どぎまぎしながら笑った。
「ご主人様、お飲み物をお持ちしました」
 香しいコーヒーの匂いと共に、先程のメイド店員が現れ、
「本日は、ご主人様の執筆が捗ることを祈りながらインク・コーヒーを作りました」
と、アニメキャラクターを連想させる声で言った。
 カップソーサーにはペン先が広い万年筆が一本と、インク壺の形をした角砂糖が二個添えられている。
「クリップを回せばミルクが出るようになってます」
 神田に言われて堺が試しに万年筆のクリップを回すと、ペン先から流れ落ちたミルクが黒いコーヒーに曲線を描いた。
「す、凄いですね」
 堺が感心すると、
「ご主人様にお褒め戴き、光栄です」
と、メイド店員が応えた。

 ――まずお名前と、職業をどうぞ。
「神田です。三星堂書店のエリアマネージャーを務めてます。エリアマネージャーについて少し説明致しますね。エリアマネージャーとは複数の店舗をまとめて管理する、店長と思ってください」
 ――本屋にしてはメイドカフェのように見えますが?
「当店はメイドに扮した店員がお勧めの本を紹介したり、読書会を開いたりと、体験型要素の強い本屋になっております。もちろん、カフェとしての機能も備えてあります」
 ――客層の内訳を、大体でよいので教えてください。
「そうですね、当店は書斎をイメージしたカフェであるためか、男性のお客様が圧倒的に多いです。最近は、月に一日、女性のお客様限定の日を設けて、女性客の取り込みを図っております。その次に多いのが、視覚障害者のお客様です。本の朗読会を開いているので、それを楽しみにご来店されています」
 ――朗読会ではどんな本が読まれるのですか?
「当店に持ち込まれた短編作品です。当店でのみ販売をすることを条件にしておりますので、朗読会開催に伴う著作権料は支払っておりません。作家様にとっては自作品の宣伝、当店としてはお客様の呼び込みと、両者に利点がある仕組みになっております。朗読メンバーは劇団員経験者が多いので、声の張りもよく、お客様からご好評の声もいただいております」
 ――このお店はメイドカフェをコンセプトにしておられますが、他の店ではどんなことを?
「私が担当している店舗では、このメイドカフェ系の他に、執事カフェや、著名な作品に因んだ料理をお出しするレストランや、コスプレカフェもあります。いずれも客層の男女比は異なりますが、店員が本をすすめる、読書会や朗読会が開かれるイベントは共通して、どの店舗でも行っております」
 ――各店舗によって、置かれている本にも特色がありますか?
「店のコンセプトに合わせた品揃えを心がけております。この書斎カフェでは西洋の貴族社会に関する本や、経済、哲学、世界各地の美術文化などの本を置いております。他のお店では、レストランですと料理のレシピ本や食文化、畜産農業などの第一次産業について、コスプレカフェでは衣服や風俗に関する本を主に取り揃えております」
 ――本はどのように仕入れてますか?
「取次会社が無くなったので、個人作家やその分野の専門家の方から直接仕入れてます。委託式なので、こちらとしては自由に本の選択が出来ますし、書き手の方も、どのお店であれば読んでほしい層に出会えるかを把握しやすいことが利点ですね」
 ――反対に、そのやり方での欠点はありますか?
「二つ、欠点があります。基本的に少部数の仕入れなので、在庫を切らしてしまうと、追加分が店頭に並ぶまでに時間がかかってしまうことです。
 もう一つは、当店を含め、三星堂書店では本が売れたか否かに関わらず、販売手数料を頂戴する仕組みとなっているのですが、最近はこの販売手数料を無料とするライバル社も現れ、書店業界で仕入競争が起きていることです。本の仕入れ先が選べる分、書き手側もどの書店と販売契約を結ぶか選べるゆえ、人気作家の新作販売契約は年々熾烈なものになりつつあります」
 ――このような営業方法は、貴社が業界内では初めてと聞きました。何故、この手法を始めたのですか?
「大手出版社の倒産が切っ掛けです。それまでは何とかしようという気持ちはあったのですが、気持ちばかりが焦って、どれも現実的ではないように思え、具体的な案はなかなか出なかったのです。でも、週刊漫画雑誌が紙での販売を取り止めることを決定した時、本格的に変換しなければ、会社は生き残れない、確実に潰れるだろうと危機感が一気に高まりました。これまでの総合書店からの脱却を図ろうと、以前、期間限定でコラボフェアを開催した時に大変反響が好かったので、カフェを併設した、体験型の本屋に方向転換したんです」
 ――本屋を体験型にしようという案は、どなたが出されたのですか?
「当時の執行役員です。その役員は元々アルバイト店員として入社し、正社員に昇格した、現場からの叩き上げの人なんです」
 ――始めた頃の反響はどうでしたか?
「マスコミの宣伝のおかげで、かなり話題になった分、固定客につながりやすかったです。『魔改造プログラム』の問題が起きた直後は、大きく客足が減少しましたが、直ぐに回復し、最近は少しずつではありますが、来客数が増えつつあります」
 ――客足が回復した理由は何でしょうか?
「常連のお客様に訊いたことがあるのですが、その方は、本屋に置いてある作品だから信用できると、お話しされていました。その時には既にネット上に沢山のコラージュ作品が溢れていたので、ヴァーチャル世界ではない、リアルな世界において信用できるものを求めていたようですね」
 ――本屋に置いてあるからこそ信用できるというのは、『魔改造プログラム』で大きく業界が変わる前から存続する本屋だから、そこに信用できる要素を見出された、ということでしょうかね?
「そうでしょうね。知らない人から本を勧められるよりは、自分の好みをある程度把握している人から勧められると、その本に興味を持ちやすいことと同じかもしれませんね」
 ――今も、本屋に訪れる人は、その信用性に惹かれてやって来ると思いますか?
 神田は堺のその諮問に首を傾げて見せた。
「うーん、あの頃よりはそういう考えで来られる方は減ったと思います。今は開催されるイベントや、馴染みの店員に会うために来られる方が多いです」
――『魔改造プログラム』についてお聞きします。存在はどこで知りましたか?
「店員の噂話からです。最初は都市伝説の一種だと思っていましたが、客足が急に落ちたので調べてみたら実在することを知りました」
 ――存在を知った時、どのように感じましたか?
 神田は乾いた笑い声を発した。
「どうとも。強いてあげるなら、読者が求めているものはその程度であったということを示す切っ掛けになったと、今では感じております」
 ――その程度というのは・・・?
「これはあくまでも個人的な意見ですが、自分に書けない世界観への魅力や、登場人物への感情移入体験を求めて、人は本を読むのだと思っておりました。しかし、自分たちで簡単に作れるとわかった途端に本を読むことを止めてしまった人々を見て、私の考えは思い込みに過ぎなかったのだと、少しがっかりしました。
 学術書はインターネット上の雑多な情報よりも精確なので、今後も必要とされるでしょうが、娯楽としての文芸書の未来は・・・」
 神田はそこで口をつぐんでしまった。
 堺は質問を変えることにした。
 ――先程の話しに戻ってしまうのですが、リアルな世界において信用できるものとしては図書館もありますが、神田さんは図書館を利用されることはありますか?
「遺跡になっている図書館には行かないですね。地方図書館も利用者が減って、閉鎖しているところもあると聞きますし」
 ――遺跡ですか。
「ええ、本屋も似たようなものですけれど、本屋には人が来ている分、まだ良いのでしょう。利用者が少ない施設を税金で賄う図書館と、営利を目的とした書店営業では、世間から見られる目も違いますからね」
 ――本屋に勤められた理由は何ですか?
「本屋に来られるお客様の顔というか、観察が好きだからです」
 ――と、言いますと?
「目的の本を買うために来店される方もいれば、ちょっと空いた時間の暇を潰すためにお見えになる方もいます。そんな中で本を手に取ってぺらぺらと試し読みしたり、レジへ持ってくる人の顔が見ていて面白いのです。目の輝きが違うんですよ。妙にぎらついている人もいれば、穏やかな目でかなりマニアックな本を買われる人もいる。そういうギャップと言うのか、落差を見ているのが楽しいのです。見た目と本のジャンルが異なる人を見て、家族に頼まれたのか、それとも多趣味なのかとか、あれこれ想像する時、とっても幸せな気分になれるのです」
 神田は「なんてね、冗談ですよ」と微笑んだ。
 ―あの、本当の理由は何でしょうか?
「すみません、それだけはお話しできません」
 神田が困ったような表情を見せた。
 ――わかりました。では、同業の方と会われることはありますか?
「会いますよ。一人のお客様として来られることもあります。敵情視察をするためですね。逆に私も、プライベートでは一個人として他の店へ行くこともあります」
 ――同業の方とどんなことを話しますか?
「大半はどんな本が今じゃ売れているか、ということですね。情報交換で終わることもあります。人気の作家であれば、こちらから新作の独占販売契約を打診することもありますから」
 ――普段、本は読まれますか?
「売れている本だけ、読んでます。あとは、これは売れるんじゃないかなって思った本も読みます。店頭の宣伝ポップの文案を考えるためです」
 ――本を読んでいる時、これはどの作品から影響を受けているか、など考えることはありますか?
「あまり考えないですね。あくまでも、読んでいる時はオリジナルとして読んでます。でも後になってそれが、つぎはぎだらけのコラージュ作品であったことを知ることもあります」
 ――コラージュ作品であるということは、どこで知りますか?
「やはりネットですね。お客様からの指摘を受けることもありますが、その指摘も、ネットで既に指摘されていることを、お客様が教えてくださることが大半です」
 ――コラージュ作品であると判った場合は、どうなされているのですか?
「客観的に見て、過剰なトレースや盗作と判断した場合は、その本は店頭から撤去しております。当店としてはコラージュ作品は置かない方針ですから。ですが、コラージュと呼べるのか、曖昧なものが多く存在することは否めません。その点、専門書は、根拠となる出典がわかれば簡単ですからね」
 ――今後、新しい店舗を出店する計画はありますか?
「実験店として、完全会員制の店を開くことを計画中です。どんなコンセプトにするかは、まだお話しできませんが、計画が固まり次第、発表する予定です」
 ――最後にプログラマーに一言。
 神田は頭をゆっくりと傾げ、
「特になにも無いです」
と、端的に答えた。

 帰り際、神田は戸口まで見送ると言って、堺についてきた。
「堺さん、僕はS市出身なんですよ」
 突拍子もなく神田が言った。
「学生時代までSにいたんですけどね、S市の図書館では蔵書共有システムをとっており、近所の図書館で申し込めば、市内の他の館にある蔵書を受け取ることができるんです」
「へえ、便利ですね」
「その図書館のカードは、市のシンボルとしての時計台のイラストが載っているんです。こちらへ来る時、最低限の荷物しか持ってこなかったのですが、図書館のカードだけは財布の中にしっかり入れていたんです。今も持ち歩いているんです」
 そう言って神田はポケットの財布からカードを取り出し、四隅が擦り切れてしまったカードを見せてくれた。
 お守りとして持ち歩いているのかと堺は訊ねようとしたが、神田の顔を見て口をつぐんだ。
 神田は愛おしそうにそのカードを見つめていたからだ。

 翌日、堺が目を覚ました時、頭の奥の痛みはまだ眠り足りないゆえに起きているのかと思い、一度開いた目を閉じた。しかし、眠気が残っているのに対し、頭の痛みは徐々に強まっていく。
「うーん・・・」
 堺は直ぐには身体を起こさず、ぼんやりと部屋の天井を見上げた。
 烏の鳴き声が聞こえる。自動車のエンジン音が近づき、遠ざかる音も聞こえる。頭だけを動かし、ベッドサイドの時計を見ると、普段なら起床する時間をとっくに過ぎていた。
 昨夜は遅くまで起きていたせいだろうか。
 堺は仕事のスケジュール調整を痛む頭の中で行うと、風邪をひいたのかもしれないと思い、とにかくもう一度眠ることにした。
 正午近くになって目を覚ますと、頭痛は少し和らいでいた。
 堺が顔を洗うために廊下に出ると、ちょうど玄関のドアが開けられ、文華が入って来た。
 文華は堺の姿を見ると、一瞬驚いたようだったが、直ぐにその瞳の中の光は消え、何を考えているのかつかみにくい無表情になってしまった。
「おかえり」
 咄嗟に出た自分の言葉に堺は気まずい思いをさせてしまったかと後悔したが、文華は平然と、
「ただいま」
と言うなり、さっさと自室がある二階へ上がってしまった。
 顔を洗って服を着替えると、堺は急に空腹を覚えた。冷たい水で顔を洗ったためか、頭の奥の痛みも消えたようだ。
「おーい、昼飯はどうする?」
と、階段下に立って二階に声をかけると、
「ファミレス」
 後ろから声をかけられて驚く堺を他所に、いつの間に下りてきていたのか、文華は相変わらずの無表情で、
「ファミレス」
と繰り返した。
「そうだな、ファミレスに行こうか」
 堺が微笑むも、文華の表情は変わらない。
「今日は、学校はどうしたんだ?」
 スニーカーの靴紐を締め直す娘の背中に訊ねると、
「今日は創立記念日で休みだから」
と、小さな声で答えた。
 堺は母に昼ごはんを用意してもらったのか訊こうと思ったが、それは控えることにした。

 前回来た時とは違い、平日の昼間のファミレスには中高年客が多かった。
「ドリンクバーに行ってくる。何か飲みたいものはあるか?」
 堺が―今度はぼんやりせずに―注文し終えた後に文華に訊ねると、
「自分で行くからいい」
 文華は堺の返事も聞かずに立ち上がり、一人でドリンクバーに行ってしまった。
 堺は娘に気取られぬよう、溜息を吐いた。
 こうやって堺が何も言わずとも、文華の方から堺のもとへ来てくれるのは有り難いことだ。しかし、文華にとって、自分と過ごすことが好い気分転換になっているのかは疑問だった。母親に言われて仕方なく顔を見せているのではないだろうか。
 数分後、戻って来た文華の両手にはオレンジジュースとウーロン茶が入れられたグラスがあった。文華はウーロン茶のグラスを堺に差し出した。
「ありがとう」
 意識的ににっこりと笑って受け取る堺とは対照的に、文華は微笑みもしない。
「学校の調子はどうだ?」
「ふつう」
「・・・・・・」
「特に変わったことは無いよ」
 堺の無言の反応に何かを察したらしく、文華は小さな声で付け加えた。
「前に話してたゲーム、あれはだいぶ進んだのか?」
 文華が話しやすいだろうとゲームの話をふってみるも、
「最終ステージまでなかなか辿り着けなくて」
と言うなり、れきり黙ってしまった。
「そうなのか」
 しばし間が開いてしまったが、それでも堺は何か会話の糸口になるような、かつ、娘との会話が暫く続くような話題を頭の中で探した。
「学校では、友達とゲームの話をするのか?」
「うん、まあ」
「ゲーム制作者の千田さんのインタビューをした後、あれからお父さんも少しゲーム関連のニュースを読むようになったんだ。最近はリアルタイム連動型のゲームは少なくなってきて、ゲーム内の時間とプレイ時間が同じタイプのゲームが流行っているんだってな」
「うん、その方が自分の好きなペースでプレイできるからね。深夜の時間にしか出現しないモンスターのために、遅くまで起きる必要もないから」
「お父さんが子供の頃は、リアルタイム連動型ゲームが主流だったよ。それこそ深夜にしか手に入らないアイテムのために夜更かしして、次の日の授業では居眠りしていた子もいたよ」
「ふーん」
「ゲームの世界をアニメ化したり、漫画化したこともあったんだ。漫画化したものは見たことは・・・?」
 文華がゆっくりと頭を左右に振った。
「古本屋とか、図書館で見かけたことは?」
「古本屋って、私、見たことがないんだけど」
「今住んでいるところとか、学校の近くに無いのか?」
「一軒も無いよ」
「近所にあって、昔はよく行ってたんだけれど、覚えてないか?」
「それ、いつの話?」
「文華が三歳か、四歳くらいの時だったかな」
「半地下になっていて、窓際に絵本のコーナーがあったお店?」
「そうそう! そのお店だよ」
 文華が覚えていた喜びで、堺の声が少し大きくなった。
「本屋だと思ってたけれど、古本屋だったんだ」
「まあ、文華が五歳の時に、その古本屋は閉店してしまったから、あんまり記憶に無かったのも無理ないよ。その後はすぐに美容院になってしまったし」
「ああ、そうなんだ」
「あの時、読んでた絵本はどうしてる? まだ持っている?」
「引越の時にほとんど処分したから、今は無いよ」
 再び沈黙が二人の間に横たわった。
「本屋には、行かないのか?」
「出会い系みたいになっているから、行くなら保護者同伴にしろって、学校から言われているから行かない。というか、行く気がしない。読みたい本が見つかるとは思えないし」
 淡々と話す娘の口振りに、堺は心臓を直に蹴られたかのように痛んだ。
 家族向けの本屋と言っても、小さな子や児童書専門店を喜ぶとは思えない。かと言って、年齢層の高い大人向けの本屋に女子高生が一人で入れば、要らぬ注目の的になるだろう。
 自然と、堺の視線がテーブルの上に落ちた。
「あの、その・・・ごめんな」
「どうして謝るの?」
「お父さんが、出版社社長でありながら、現状を変える力が無くて」
「・・・・・・」
「お父さんも、本が好きで出版社に入ったのに、子供が生まれたら、いつかお互いに好きな本について語り合えたらいいなって思ってたんだ。でもそれは本がたくさんあった昔だからこそ思ってたことで、『魔改造プログラム』のせいで本どころか、創作そのものがめちゃくちゃになってしまった今は・・・」
「・・・・・・」
「本の楽しさを伝えるべき立場にありながら、文華にそんなことを言わせてしまって、本当にすまない」
「何でそういうことを言うの」
 娘の冷たい声に堺は顔を上げた。
「いや、もしかしたら今後『魔改造プログラム』を一掃できるようなものが出来て、また沢山の本が出るかもしれないし」
 文華は、憎々し気に堺を見つめている。
「止めてよ、そうやって憐れむような目で見ないで」
「憐れんでは」
「嘘!」
 大きな声を出した反動なのか、娘の目は見る見る潤み、震える身体のせいで涙が溢れ落ちた。
「自分たちが楽しんできたものが無くなっていくのを、指をくわえて黙って見てたくせに、後から生まれてきた人間は味わえないなんて可哀想って決めつけないで」
 堺の頭の奥がまた痛んできた。
「決めつけてなんかいないよ。ただ、今はとても苦しいだけで、それを変える可能性は今後出てくるから」
「自分たちが作ったものをコントロール出来なかったからって、私たちにそんなものを押し付けないで」
「文華」
 冷静に話そうとする父を娘は鼻で笑った。
「創作や本のことをインタビューして、さも読者や作家の気持ちを理解しているかのような文章を書いて恥ずかしくないの?」
「文華!」
 あまりの大声に、店中の視線が二人に向けられた。
 文華は顔を真っ赤にさせると、逃げるように店を出て行ってしまった。
 ウーロン茶のグラスに触れた手を額に当てると、頭の痛みが少し和らいだ。
 ポケットに入れていた携帯電話が着信を告げる。
「はい」
 誰からの着信なのか、携帯画面も見ずに電話に出ると、
「お疲れ様です、堺さん。今、お電話しても大丈夫ですか?」
 相手は常磐だった。
「ああ、お疲れ様です」
 いつものように、営業員としての明るい声を出そうとしたが、不機嫌な声を出してしまった。
「堺さん、急で申し訳ないんですけれど、今からこちらに来られますか?」
 その時、店員がやってきて、
「お待たせしました、ご注文のオムライスセットです」
と言うなり、料理をテーブルに並べ始めた。

2017年12月27日