第五章

 「デュクシ」
「デュクシ」
 顔を合わせるなり、そう言って互いの拳を突き合わせると、堺と宮石は同時に仰け反り、大きな声で笑った。
「社長、どうだい景気は?」
「火の車だね」
「またまたぁ。最近連載している記事で盛り上がっている癖に」
 ニヤニヤと笑う宮石に脇腹を肘で突かれ、堺は照れ隠しで元・同僚である宮石にヘッドロックをかけるふりをする。
 平日金曜日の夕方時、駅前でふざけ合う中年男性の二人組を、道行く人々はこんな早い時間から酔っ払いが騒いでいるのかと呆れていた。
「そっちの方こそ、どうだい? 出版社より印刷会社の方が儲かっているだろ?」
 堺の問いに、宮石は苦笑いし、手に持っていた団扇で半袖のワイシャツに覆われた身体を仰ぎながら、
「そりゃあね。でも地域情報誌や個人誌の注文がほとんどだから、かなり同業者と食い合っているよ」
 宮石の言葉の中に含まれる重苦しさを振り払うように、堺は、
「えーと、お前が予約したお店ってこの近くなのか?」
と、話題を変えた。
「ああ、馴染みの店だから融通が利くんだ」
 
 宮石とともに路面電車の線路沿いに五分程歩くと、宮石は踏切の傍にある小さな居酒屋の引き戸を開けた。
「いらっしゃーい」
 威勢のいい声が奥から飛び出してきた。
 ふと見ると、引き戸には準備中の札が掛けられている。
「すみませんね、無理を言って」
 宮石が厨房カウンターの中にいる店主らしき胡麻塩頭の男に言った。
「いいってことですよ」
 胡麻塩頭の店主があっけらかんと言った。
 店内は狭く、四人掛けの小上がりが三つあるだけで、敷かれている座布団は年季が入っているため、ひどく薄くなっている。
「お酒はね、後で注文しますんで。まずは冷たいウーロン茶を二つ下さい」
「はいよー」
 さっさと戸口傍の座敷席に座る宮石に、堺が、
「おい、まだ準備中って表に札が出てたぞ」
と小声で問うと、宮石は、
「開店前の一時間ほど、スペースを貸してくれって頼んだんだ」
 宮石は勝手知ったる我が家のように、カウンターの隅に置かれていた冷蔵庫から図々しくおしぼりを二つ取り出した。
 店主はそれを咎めもせず、「お待ちどう」と言って、ウーロン茶を二つ並べ置く。
「此処なら取材が終った後に、わざわざ場所を移動せずとも酒が飲めるしな」
 渋々といった体で堺が座敷席に腰を下ろすと、宮石はビールの広告が入っている団扇で汗に塗れた首元に涼しい風を送りながら、刈り上げた頭に眼鏡を掛け上げ、
「さあ、こっちはいつでも準備オーケーだぜ」
と、呆れる堺を急かした。

 ――名前と職業を教えてください。
「宮石です。印刷会社の営業をやっています」
 ――印刷会社の営業にはいつ頃から務めてますか?
「五年くらい前から務めてます」
 ――それまでは何の仕事をされてましたか?
「出版社で営業をしてました」
 ――出版社での営業をされていたとのことですが、どんな仕事内容ですか?
「自費出版系の会社だったので、各地で開かれる出版説明会の開催準備や、自費出版された本を取り扱ってくれる書店への売り込みです。
 ――何故転職をされたのですか?
「一言でいえば、生活のためです。既に雑誌は読まれなくなり、本だってすぐに絶版になってしまう。薄利多売の商売ですし、仕事柄、出張も多く、家族のことや将来性を考え、思い切って転職しました」
 ――転職先として印刷会社を選ばれた理由は何ですか?
「出版社に勤めていた頃から仕事での取引があり、ちょうど定年退職者が一人出るからうちに来ないかと先方から話があったからです。それに、家から通勤するのに会社の場所が近かったということも、選んだ理由です。でも、本当のところは、本に関連する会社に勤めたいというこだわりがあったんでしょう」。
 ――よろしければ、出版社を選んだ理由をきかせてください。
「本が好きで、本が生まれるところで働きたいと思って出版社を選びました。印刷会社に入る前は、二つの会社で勤めてますが、どちらも出版社です。作家の原稿にやきもきし、印刷所の締切と戦う。本屋と一緒にフェアをやって、特に勧めていた本が売れた時の喜びを分かち合う。読者からの感想を心待ちにしながらポストの蓋を開ける。現実はこんなロマンチックにはいかないと頭ではわかっていても、心ではそういう仕事にあこがれを抱いてました。本の魅力を感じてくれる人を、一人でも増やしたかったのです」
 ――現在の印刷会社では、どんなものを請け負ってますか?
「個人向けでは個人誌とグッズがほとんどですね。法人向けでは、新聞の折り込み広告や商品パッケージ、大型広告ポスターも請け負ってます」
 ――個人誌の平均印刷部数はどのくらいですか?
「大体十部から二十部。五十部以上の印刷注文が来ることは、一年に数件です。昔はイベント直前に百部・千部単位の印刷注文があったそうですけれど、今となっては、そんなケースは過去の伝説になってしまっています」
 ――注文数の激減には、『魔改造プログラム』の影響はあると思われますか?
「激減の切っ掛けを作ったという点では、影響していると考えてます。でも決定打となったのは、大手出版社が軒並み同人グッズの制作を禁止したことでしょう。それまでは少部数の販売は黙認されていましたが、おまけとしての栞やレターセットの印刷も禁止したので、その時の赤字に近い売上はかなり後まで響いたと、先輩社員から聞かされたことがあります」
 ――『魔改造プログラム』についてお尋ねします。『魔改造プログラム』の存在はどこで知りましたか?
「ネットのニュースです。確か、前の出版社に入って五年か六年目だったと思います」
 ――その時、どう思われましたか?
「その時見たニュースでは、『魔改造プログラム』を悪用するケースが多発しているという内容のものだったから、これは、著作権問題に関わってくると思いました。それも、とても大きな損害を与える。そのネットニュースでも、『魔改造プログラム』のことを違法プログラムと呼んでいました。ただ、プログラムを作ったからといって、著作権を侵害したと明確に言えるわけじゃないから、こちらとしてはもどかしかったです。あのプログラムは、複数の文章や画像を組み合わせるプログラムであって、自分に著作権がある文章や画像を組み合わせて使うことには何ら問題は無い。プログラムを悪用する人間が問題なんですよ」
 ――『魔改造プログラム』を擁護しているようにも受け取れますが、宮石さんとしては『魔改造プログラム』に対してはどのようにお考えですか?
「擁護しているわけではない、かと言って否定もしません。このプログラム、正式名称が無いために『魔改造プログラム』と呼ばれているけれど、さっきも言った通り、使い方を間違わなければ便利な道具として思われていたでしょう。だけど、その道具を悪用する人間が堂々と歩き回ったせいで、こんな事態になってしまった。何が許せないって、道具を作ったことではなく、道具を悪用する人間と、その悪用するやり方にぶら下がった、“読者”を自称していたやつらが許せないのです」
 ――『魔改造プログラム』の影響で、出版業界は大きなダメージを受けました。同業者が相次いで姿を消していった時、どんな思いでしたか?
「一つの業界が終る時って、こんな感じなのかなという思いでした。悲しいという気持ちと、寂しい気持ちが混ぜこぜになったような。俺が入社する何年も前から出版業界は厳しいと言われていた。それでも読者は本を求めていると信じ、働いてきた。それなのにどんどん力無く潰れていく様を見て情けなかった。一人の力ではどうすることもできないし、かといって仲間がいたところでどれくらいの仲間を必要とするのか、それさえも想像できなかった。ただ、何もできず、傍観する自分が情けなく、腹立たしかった」
 宮石は溜息を吐いた。
「君を目の前にしてこんなことを言うべきじゃないのかもしれないが」
 宮石の疲れ切った笑みに堺は返す言葉が無く、宮石の視線から逃げるように次の質問をした。
 ――何か対策のようなものは、当時勤めていた出版社で行われましたか?
「自主退職の促し、あとは出版権の強化といったところかな。大手は漫画作品の同人グッズ制作を一律に禁止したところもあったけれど、勤めていたところは自費出版業だったから。同業者と協力しようにも、その同業者が次の日にはいなくなっていますからね。対策を立てる余裕なんて無いに等しかったです」
 ――出版社を経験していた人と会うことはありますか?
「たまに会うぐらい」
 ――印刷業の人とはどんな話をしますか?
「仕事の話ばかりですね。どこそこで大きな注文が入ったとか、あの会社では『魔改造プログラム』を愛用する者のために、持ち込まれたデータを横流ししているとか」
 ――印刷会社がデータを横流しすることはあるんですか?
「噂とはいえ、倒産した印刷会社は、客先からのデータを流出させていたことがバレたからだと聞きます。でも所詮は噂話なので、根拠は無いとみていいですね」
 ――最近、本は読みましたか?
「電子書籍で江戸川乱歩全集を読みました。紙書籍があれば図書館に行って借りてこようと思ったのですが、近所の図書館の開館時間が平日のみで、なかなか行けないものですから」
 ――ここ数年の間に出された本は読みましたか?
「読んでいないですね。親が生まれるよりも前に発表された作品ばかり読んでます」
 ――最近の本を読まない理由は何ですか?
「『魔改造プログラム』の制作者が逮捕されて騒ぎに一段落ついた時、好きな作家の新作が本屋に並び、買いに行って読みました。でもその話が、どこかで読んだことがある話だったのです。たまたま物語の展開が同じだったのか、それとも自分の中の勘違いなのか。どちらかはわからないけれど、既読感を感じた途端に、その本の続きが読めなくなってしまったんです。それ以来、『魔改造プログラム』の騒ぎがあってから後に出された本は読まないようにしてます」
 宮石はかぶりをふり、こう付け加えた。
 「いや、読めなくなった、という答えが正しいでしょうね」
 ――最後に、プログラマーに一言。
 宮石は腕を組み、
「今日、こうやって会うまで、多分、最後の質問はそれだろうと思って、考えたんだけれど、カッコイイ言葉が思いつかなくて」
「焦らなくても、別の機会に」
「いや、今が良い」
 堺の提案を宮石が一蹴した。
「あのプログラムをどういう目的で使用しようとしていたのか、その点をもう一度、本人から聞きたい。別の使い道を示せば、この状況は変わると思う。俺からの、プログラマーへの一言は以上。これだけを知りたい」

 取材を終えると、時間は丁度六時になるところだった。
「マスター、終わったんで、生二つ」
 宮石の注文に「あいよっ」と愛想よく店長が答え、すぐに冷えたジョッキに入れたビールと、揚げ豆腐が乗った小皿を持ってきた。
「じゃ、まずは乾杯しようぜ」
 堺と宮石が乾杯する傍らで、店主が戸を開け、吊り下げていた準備中の札を営業中に返した。
「会社でも、お前が書いた記事を読んでる人いるよ。その人も本が好きで、色んな本を読んでいるんだ。現状については本好きの一人として、かなり辛いって言ってたよ」
「そうか」
「その人、小学生の子供がいるんだけどさ、俺らが子供の頃は朝の読書時間と称して本を読む時間があったけれど、今じゃそんなものはやっていないんだってさ」
「それじゃ、直ぐに授業に入るのか?」
「いや、本を読ませる代わりに、植物の世話やプログラミングの勉強をするんだって」
「植物?」
「ほら、アサガオやミニトマトとか植えたじゃないか。夏休みの間、観察日記をつける宿題を出されたやつ」
「ああ、終業式の日に鉢植えを持って帰ったな」
「そうそう、それそれ。今でも植物を育てるのはやっているらしいよ」
 宮石はそこでビールを仰ぎ飲み、ジョッキを置くなり、壁に貼られているメニュー表も見ずに、店主に次々と注文していく。
「今日は俺の奢りだから」
 と、堺を振り返って、宮石が言った。
「いいのか?」
「いいのかって、なんだよ? 俺の懐具合を気にしてくれているのか? 奢られる側がそんなことを気にしちゃあ、いかんよ。ねえ、マスター?」
「そうですよぉ。気にしちゃ駄目ですよ」
 話を聞いていたのか、いないのか、店主が適当に相槌を打つ。
「あ、言おうと思ってたんだ。この間、桂木先生を見かけたよ」
「え! どこで!?」
 驚きのあまり、口をつけようとしていたビールジョッキから、ビールの泡が零れた。
「上野駅前のデパート。痩せてたけれど、桂木先生ですかって声をかけたら、そうですって答えて」
「あの人、結構太っている人だったのに、よく桂木先生だって判ったな」
「あんな派手な長傘を持っている人なんて、世界広しと言えど、桂木先生しかいないからな。丁度、あの日は雨が降っていて、デパートの出入り口のところで傘を開こうとしていたら、向こうから桂木先生と同じ柄の傘を持っていたから判ったんだ」
「痩せた理由は病気なのか?」
「いや、病気じゃないって。仕事無くなって、ほら、あの先生、今までろくに社会経験もないまま生きてきたから、アルバイトもきついものか、日雇いぐらいしかないらしくてね。それで痩せたって言ってたよ」
「日雇いバイトって、あの年齢じゃそろそろ肉体労働が無理なんじゃ・・・」
「そっ! だけど本人としては作家業で暮らせるわけじゃないから、背に腹は代えられぬってやつだね」
「あ、実録ルポライターはどうかな? 日雇いバイトの経験をネタにしたら、案外人気出るかもよ?」
 堺の提案に宮石は顔をしかめた。
「ルポねぇ、あの先生、昔は小説じゃなきゃ他のものは書きたくないって言ってたけれど、どうかねえ・・・」
「・・・無理かな」
 落ち込む堺を宮石は励ました。
「いやいや、本人が今どう思っているかはわからないし。俺に対してはああ言ったけれど、今度お前が言ったらまた違う反応するかもしれないしさ!」
 尚も不安そうな堺の肩を宮石は強く叩いた。
「大丈夫だって。デビュー後も長い間やり取りしていたお前からの話しだったら、桂木先生も聴いてくれるよ。堺が連絡をほしがってたことは伝えてあるから、今度、電話でもしてみたら?」
「うん、そうだな。『日本ファン・ウェブ』の編集長に、ライターの仕事を回してもらえないか、相談してみるよ」
「ぽんぽち、お待ちどうっ!」
 いきなり目の前に差し出された串焼きの一本を、宮石は躊躇うことなく、テーブルの上に置かれる直前の皿から奪取した。
「そう言えばさ、第一回目のインタビューで登場したアマチュア作家の人なんだけど」
 宮石が、箸を使って串からぽんぽち肉を切り出しながら言った。
「うん?」
「あのアマチュア作家以外の人にもインタビューしたんだろ? どうして他のアマチュア作家へのインタビューを載せなかったんだよ?」
「載せようにも、あのインタビュー記事に載ったアマチュア作家以外、誰もインタビュー企画に応募してくれた人がいなかったんだ」
 堺は何の気なしに答えたが、宮石にとってはひどく衝撃を受けたらしく、宮石の手から離れた箸が音を立ててテーブルの上を踊った。
「え、という事は、あのアマチュア作家一人だけだったのか?」
 黙って堺が頷くと、宮石は箸を揃え、取り皿の傍に置いた。
「おいおい、随分と大袈裟だなあ」
 堺が笑うも、宮石は頭を振り、
「昔はあんなに沢山のアマチュア作家がいたのに、皆、何処へ行ったんだろうな・・・」
と、空を見つめながら呟いた。
 
 翌日、堺は桂木の携帯電話にかけてみるも、留守番サービスの案内が流れた。堺は再度、連絡がほしい旨を残し、電話を切った。

2017年12月27日