第四章
「オーケー貰えましたよ!オーケー!」
珍しく自宅のインターホンが鳴ったと思い、書斎の椅子から立ち上がると、ドア越しから常磐の大きな声が聞こえた。
堺が玄関のドアを開けるなり、
「たまたま近くにいたので、思わず寄ってしまいました!あ、これ差し入れです!」
と、常磐が駅前のスーパーの袋を差し出した。中には駄菓子の詰め合わせが入っていた。
「あ」
ありがとうと堺が言おうとすると、すかさず常磐は、
「大丈夫です!経費で落とせますから!」
と意気込んで言った。
「お茶を入れますから、まあ上がってください」
「ありがとうございます!」
大きな声と笑顔を見せる常磐につられ、常磐がこれ程までに妙に喜んでいる理由をまだ聞かされていない堺も、何となく嬉しくなった。
テーブルにつくと、常磐は早速話し始めた。
「ゲーム制作者の千田さんに取材を申し込んで、無事にオーケーが貰えたんです」
「千田さん?」
お茶を急須から注ぐ堺に常磐は説明した。
「『作家になろう』ゲームの企画立案者であり、制作者ですよ」
「常磐さんが、最初の会議で話してた人ですか?」
「そうです。もし断られても暫くは粘ろうと覚悟していたんですけれど、意外とあっさり取材許可をもらえたんです。しかも千田さん本人から電話をかけてきて下さったんですよ」
常磐は憧れの芸能人に会えることになった女子高生のように目を輝かせている。
「念のため、さっき制作会社に直接会いに行ったら、すぐに本人が出てきて、詳しい日時や場所は全部堺さんにお任せしますって。先方も、堺さんの記事は読んでいるそうで、堺さんに渡してくださいって、名刺もいただいてきましたから」
常磐が名刺ケースから千田の名刺を取り出した。
「そりゃ、こちらで決めていいのは有り難いけれど、先方さんは忙しくないんですか?」
「いただいた名刺にはゲーム制作会社役員と書いてあったので、ある程度は時間の融通はきくんじゃないんですか?まあ、もしかしたら窓際役員かも知れませんけれど」
「窓際役員って、あのゲーム会社は、『作家になろう』ゲームのお蔭で大きくなったんでしょう?そんな人を窓際に追いやりますかねえ?」
堺が遠回しに常磐の言葉を諌めるが、
「でも、『魔改造プログラム』の元を作ったことに変わりは無いですよ」
と、鋭く切り返してきた。
心なしか、常磐の目の色がさっきとは変わったようである。
「あのゲームをプレイしたことが切っ掛けで、『魔改造プログラム』を作ったと、裁判の時にプログラマーが言っていたじゃないですか。あまり大きく取り上げられませんでしたけれど、裁判でのこの発言が影響で、あのゲーム会社の株価が暴落したんですよ。しかも未だにその時の影響が続いているのか、株価は戻らないし、売り出すゲームもパッとしないものばかりで」
取材許可が下りた時の喜びようとはうってかわった態度の変化に、堺は戸惑った。もしかすると、常磐は千田に対して本当はあまり好い印象を抱いていないのかもしれないと堺は推測し、話題を変えた。
「そういえば、先週から始まった特撮ドラマ、録画したきりでまだ観ていないんだけれど、常磐さんはご覧になりましたか?」
途端に常磐の目が吊り上がった。
「まだ観ていないですって!?今すぐ観るべきですよ!丸谷が本気を出してましたよ!」
小説や漫画が衰退の道を辿る中、皮肉にも実写映像作品は素人にはコラージュ加工しにくい分、俄かに人気となっていた。だが脚本は『魔改造プログラム』によって直ぐに改変されてしまうため、ほとんどが昔の作品をそのままリメイクしただけのものだった。
「いいですよお、やっぱりミニチュアの街を怪獣が踏み潰すシーンは迫力がありますねえ」
常磐は何度も頷く。
「来年の午後十五時の映画祭では、歴代の特撮作品も何本か流してくれるみたいですよ」
「そうなんだ、そりゃ楽しみですね」
堺が相槌を打つと、常磐は激しく頷いた。
千田が所属しているゲーム制作会社のソニック・ゲームは、堺が暮らす街から数駅離れた、駅前のビル群の一角にあった。
一階の狭いエントランスホールの受付で訪問の目的を告げると、受付カウンターの中に座っていた受付嬢から、名前や連絡先を記入する用紙を渡された。それを受付嬢に渡すと、傍にいた警備員から許可証カードを与えられた。
ゲートを潜り抜けると警備員から、エレベーターに乗ったら、ボタンに許可証カードをかざすように言われ、そのように堺が行うと、エレベーターはある階で自動的に停まり、
「ゲストのサカイ様、こちらでお降りくださいませ」
と、エレベーター内に自動音声が流れた。
普段は体験する機会のない高度な技術に堺が内心、舌を巻きながら降りると、エレベーターホールから奥へと続く、薄暗い廊下の中ほどにある一室から顔を出していた男が声を掛けてきた。
「堺さんですよね?こっちです」
人懐っこそうな笑みを浮かべたその男が、千田だった。
「すいません、こちらの都合に合わせていただいて」
部屋に入りながら堺が千田にそういうと、
「何の何の!広報の仕事をしている身として、取材されることはいつでも大歓迎ですから!」
と、屈託なく答えた。
千田は五十代らしいが、その割には白髪が多く、七十代のようにも見える。
「外は暑かったでしょう?今はエアコンを入れてますけれど、寒くなったら遠慮なく言ってくださいね」
腰の低い態度に堺は恐縮しつつ、部屋の中央に置かれた、大きな円形テーブルの席に座った。見ればテーブルの端にはペットボトルの紅茶が二本、グラスと共に置かれていた。
「いやあ、インタビューを受けるなんて久しぶりですから、話す時間が長くなったらどうしようと思って、とりあえずペットボトルの紅茶を買って来たんですよ」
千田の笑い声が狭い部屋に響き渡った。
「それで、インタビューのお時間はどのくらいを想定されてますか?」
「え、ああ、まあ、お話の内容にもよりますが、一時間ぐらいかと」
すると、堺の答えを聞いた千田は、
「一時間、うん、一時間」
と、何やら小声で呟いたが、
「少々、時間を過ぎても大丈夫ですかね?」
と、訊ねた。
「ええ、大丈夫ですよ」
堺が答えると、
「そりゃあ、有り難い!話したいことは沢山ありまして。ああ、でも、あんまり喋りすぎるのも良くないでしょうから、そう、なるべく密度の濃いお話が出来るよう、努力します」
千田が更に豪快に笑った。
――あなたのお名前と、職業を教えて下さい。
「千田智です。ゲーム制作会社の役員を務めてます」
――今までゲーム制作に携わった期間はどのくらいですか?
「かれこれ、三十年になります」
――これまでどんなゲームを作ってきましたか?
「シミュレーション系と、シューティング系が半々といったところです」
――自作ゲームを作ろうと思った切っ掛けは何ですか?
「ゲーム狂いの兄の影響です。兄と一緒に、こんなゲームを作りたいというアイディアを出し合う遊びをしていたことがあって、それでゲーム制作の世界に踏み込んだのです。最初は簡単なフラッシュゲームの制作から始めて行きました。もっとも、兄はゲームを作るよりも、ゲームをプレイする方が好きだったので、ゲーム制作はじきに止めてしまいましたが、自分はどんどんのめり込んでいきました」
――ゲームプログラミングの知識は独学ですか?
「独学と、専門学校で得た知識と、両方ですね」
――今まで携わってきた作品で、一番ヒットしたものは何ですか?
「『作家になろう』です」
――これまでにも何度も訊かれたと思いますが、何故『作家になろう』を作られたのですか?
「とても単純なのですが、そういうシミュレーションゲームを作ったら売れるんじゃないかと思ったからです。昔、人工知能が短編文学賞で一次選考を通過したという話を聞いて、人工知能をもっと身近に楽しめるゲームは作れないかと考えたのです。その結果、文体や作風を学習した人工知能が、新しい作品を作るシミュレーションゲームの開発を思い立ったのです。もちろん、これはシミュレーションですから、著作権はユーザーのものです、文体や作風を真似てはいるけれど、盗作の範疇ではない。音声合成ソフトのボーカロボットが作曲の壁を低くしたように、物語を作る楽しさを知ってもらいたかったのです」
――企画会議でこの案を出された時、他の人たちの反応は如何でしたか?
「面白そう、でも売れるのか?という意見が大半でした。あとは、著作権を気にする人もいました。それを若気の至りと言いますか、とにかく強引に押し切ったのです」
――制作中、他のスタッフからの反応は?企画会議の時と比べて、何か変化はありましたか?
「最初から変わりませんでした。本当に売れるのかって、皆、不安を感じていました。人工知能の商業活用を政府が後押しする動きがあったとはいえ、政府がやってくれたのは補助金を出すぐらいで、実際に商品として発売して売れなかった時の損失を補填してくれるわけじゃない。だから、ある時、僕がいない間に、当時の社長に皆が直談判をしに行ったのです。今すぐに開発を中止させるべきだって。それを知った僕は、もし失敗したら、自分が全責任を負う、損失分は給料から差し引いてくれ、何年たっても無償で働くと啖呵を切ったんです。そしたら総務の人間がすぐに飛んできて、労基署に首を絞められるようなことは言わないでくれって、逆にこちらが怒られました」
――そこまで完成に拘った理由は、今振り返ってみて、自分では何だと思われますか?
「うーん、若さ、という言葉が、真っ先に浮かんだけれど、どうなんだろう。周りを見返してやりたいという意地があったのかもね」
――発売当時の新聞や雑誌などを見ると、反応は上々のように見えますが?
「マスコミの方はね。商業作家の方はあまり好い顔をしませんでしたが、ゲームを制作するにあたって、人工知能に学ばせた作家は近代作家のみですから、そこは商業作家に不利益をもたらすことはないと、今でもそう言い切れます。売り上げとしては、予想していた額を超えたことが幸いでした。まあ、予想売上高が、失敗することを見越して低めに想定していたからでしょうが」
――『作家になろう』の宣伝活動の一環として、このゲームを使った小説投稿作品の選考会も行われましたが、一般ユーザーからの反応は如何でしたか?
「面白がってくれましたよ。特に若い世代からの反響が一番大きかった。選考会に応募してくれたた作品数は二千を超えたのですが、そのほとんどの作者が十代の子供ばかりでした。中には授業の一環としてこのゲームを使った学校もありました。選考会では、えーと、太宰治の作風でコメディを書いた子が優勝したんですよ。その子は、今まで本を読むどころか、国語の授業が嫌いだったそうなのですが、このゲームを切っ掛けに国語の授業が楽しくなった、本も沢山読むようになったと、授賞式の時に話してくれました」
――千田さんは、普段はどんな本を読んでいるのですか?
「実は、あまり本を読んでいないのです。強いて挙げるとすれば、ゲームブックは沢山読んでいるのですがね。ゲーム制作をするにあたって、人工知能に学習させようと考えた作家の作品を幾つか読んだ程度でして。今後、エンターテイメント界はどうあるべきか、なんて堅苦しい本も読んでません」
そこで千田は顔を顰め、
「うん?ゲームブックも本に入れていいのかな?うん、ブックだから本に変わりはない」
と、自問自答した。
――本を読むよりも、ゲームをプレイする方がお好きなんですか?
「そうなんです。最近はトレーディングカードゲームにハマっています」
――『魔改造プログラム』についてお聞きします。
その時千田は、低い声で笑い出した。待ちに待っていたと言わんばかりに、口の端から涎が少し垂れた。
「これは失礼」
千田が口元を手の甲で拭った。
「さあ続けてください」
千田に促され、堺は再開した。
――まず、『魔改造プログラム』の存在はどこで知りましたか?
「当社のお客様窓口に寄せられたメールからです。違法プログラムが出回っている、その違法プログラムは『作家になろう』ゲームと類似している。次々と送られてくるメールの内容は、どれも共通して『魔改造プログラム』のことしか書かれていませんでした」
――存在を知った時、どう思いましたか?
「ちくしょう!」
千田は大きな声と共にテーブルを強く叩いた。
「まさしく今と同じことをしましたよ!」
興奮した顔を上気させた千田の目は異様に光っていた。
「我々ゲーム制作に携わる者は、プレイヤーに常に良質なゲームを提供したいと思っているのです。そのためにはどうしても金銭が必要です。いやらしい話に聞こえるかもしれませんが、最後にはやはり金がものをいうのです。どんなに素晴らしいアイディアを持っていても、それを実現できる金が無ければ絵に描いた餅になってしまうのです。だからこそ、我々は収益を大事にしているのです。それなのに低画質な海賊版で満足する不届き者がいるせいで、本来であれば次回作に活かせるはずだった資金源が奪われ、困窮していくばかり!その想いを踏み躙られたようで、今でもあの時のことを夢に見るくらいです!」
千田の顔はますます赤くなり、口も忙しなく動く。
――社内や業界内でも『魔改造プログラム』を制作したプログラマーへの怒りの気持ちでいっぱいでしたでしょうね。
千田が言葉を切った瞬間を堺が逃さずに合いの手を入れると、千田は「ええ、もちろん」と力強く頷いた。
「そりゃあ、もう、私の反応なんか大人しい方ですよ。プログラマーを見つけ出して、コントローラーのコードで絞め殺すと本気で息巻いている人もいましたからね。一方で、冷静な人もいました。今までのハードはインターネットと繋いでも、ネットからのデータを検索し、拾い出す能力しか無かったのに、その収集したデータを組み合わせて画面に表示させる程の動きを軽量化させた能力は恐ろしいってね」
――そんなことを言って、かえって反感を買ったりしたのでは?
「そりゃ大勢いる前では言わないですよ。酒の席で、隅っこに固まってぼそぼそ話すくらいでね。何でこんなことを知っているかというと、私自身が酒席の片隅でその話を聞かされたからです。ああ、もちろん、誰が言ったのか、その人の名前は出せませんよ」
――ゲームのプログラムは、違法に改造できるものなのでしょうか?
「海賊版対策のため、コードはかなり複雑に組み込んでいます。『作家になろう』ゲーム専用のハードも、あらかじめ古典作品のデータをインプットした人工知能を組み込んでいるので、おいそれと改造することはできません。当初、社内ではこれは犯罪組織によって作られたものと考えられていました」
千田はそこで言葉を切り、「単独犯であるとニュースで知った時、ぞっとしましたよ」と呟いた。
――最後に、プログラマーに一言。
千田は興奮状態が落ち着いたのか、
「それほどの能力があるのなら、我が社に欲しかった」
と言い切った。
千田の答えに堺が何も言えずにいると、千田は、
「不思議に思われるでしょうね。自分でも不思議なくらいです。憎くて堪らないのに、彼の技術には尊敬している自分がいるのです」
と、疲れたように息を吐いた。
夕日が家々や通りの間を橙色に染めている中、堺が自宅に帰ると、玄関に見知らぬ靴が並んでいた。
「ただいま」
堺が意識して普段よりも一回り大きな声を出すと、二階からドアが開く音が聞こえた。やがてスリッパをぺたぺたと言わせながら、一人の少女が下りてきた。
「ああ、文華。来ていたのか。お母さんは?」
堺が訊ねると、娘の文華はぶっきらぼうに、
「一泊二日の出張」
とだけ答えた。
「そうか。今度はどこに行ってるんだい?」
「知らない」
視線も合わせずに娘が答える。
文華が言う出張とは、堺の元・妻である母親と再婚相手との旅行を意味していた。
文華はその「出張」には再婚相手である義父の気持ちを慮ってか、三回の内、一回は行っていると話していたことがあった。しかし、彼女はその旅行の際に撮った写真を見せることはおろか、どこへ行って何をしてきたか、ということも、堺には一切話そうとしなかった。
堺もしつこく訊ねることは控え、文華が話すまで待つことが多かった。そのため、時折様子を見に来る元・妻から話を聞かされて、初めて娘がどこへ行ったかを知ることが多かった。
「何か食べたか?夕飯がまだなら、外で食べようか?」
堺の提案に、文華の視線が僅かに堺の方へ向いたが、目を合わせることなく、黙って頷いた。
「ちょっと待っててな。今、支度するから」
堺が靴を脱ごうと身を屈めようとした途端に、階段を上る足音が堺の頭を押さえ付けた。
「おーい、出掛けようか」
階段下から声をかけると、文華が返事もせずに下りてきた。
「どこへ行こうか?何か食べたいものはあるか?」
靴を履く文華に質問するも、彼女は、
「どこでもいい」
と、切り捨てる。
堺は娘の態度の硬さに顔がひきつりそうになったが、
「とりあえず、駅まで行ってみようか」
と、気にしないふりをした。
夕日が沈み、人工の灯りが夜闇の中の方々で煌々と輝く通りを歩いていると、車道を挟んで反対の歩道を歩く家族連れの姿が目に入った。
若い両親の間に挟まれ、小さい子が両手でブランコをしてもらっている。
身体が小さいうちに出来る遊びで、文華が幼い頃、その遊びをやってとよく文華からせがまれていたことを堺はふと思い出した。たとえ転んだ痛さで泣いていても、その遊びをするだけで文華はすぐに泣き止む程、とても喜んでいた。
幼く、自分の何分の一の体重に満たない身体だったが、落ちないようにと握る手の力が強かったことを堺は今でも覚えている。
その小さな手は大きくなり、身長は今では堺よりもやや低いところにまで伸びた。
「文華、久しぶりにファミレスにでも行くか」
堺が後ろを歩く文華を振り返って声をかけると、急に声をかけられて驚いた娘と視線が合った。しかし、娘はすぐに目を逸らし、
「・・・・・・」
小さく頷いた。
ファミレスは週末の夜とあってか、堺や文華と同じように家族連れの客が多かった。
運好く案内された窓際のボックス席に向かい合って座ってメニューをながめていると、そのチェーン店の定番メニューを意味するマークがつけられた、オムライスのセットメニューに視線が引かれた。
ふと、娘が生まれる前、―それこそ結婚する前から―堺は時々この店に来ていたが、その頃からこの店の定番メニューはこのオムライスだったなと考えた。
それゆえ、
「お父さん」
と声をかけられて、結婚し、娘が生まれてから十何年も経った現在へと引き戻された時、不貞腐れた娘の視線と正面衝突した。
「注文、決まったの?」
視線を逸らされ、堺はようやく堺からの注文を待つ店員の存在に気付き、慌ててオムライスのセットメニューを注文した。
店員が立ち去り、堺は笑って自分の失敗を誤魔化そうとしたが、娘は堺を無視するかのように冷たい視線を窓の外に向けている。
堺は、今度、文華に会ったら何を訊こうかと仕事や家事の合間に時々考えていたが、いざ本人を目の前にすると、訊こうとしていた内容を何一つ思い出せなかった。
思春期で何かと気難しい年頃の文華が快く返事が出来る質問は無いように思え、堺の心はどんどん気落ちしていった。
だが、今日は珍しいことに、文華の方から堺に話しかけてきた。
「最近、インタビュー記事を書いているんだってね」
「あ、ああ。現在の創作活動に関してね。読んでくれているのかい?」
堺が妙に緊張しながら訊ねると、
「義理のお父さんが話していたから」
そっぽを向いて話す。
堺に気を遣っているのか、娘は堺の前では堺のことを「お父さん」と呼び、義理の父のことをわざわざ「義理のお父さん」と呼び分けていた。
「勝枝さんは、そういう記事に興味を持つ人なのかい?」
再婚相手とは、妻との離婚後、一度だけ顔を合わせたことがあったが、その時は妻と娘がいたので、互いの趣味についてまで深く話すこともなく終わってしまった。
「知らない」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ここで勝枝氏ともっと話しなさいと諭しても、文華にとっては赤の他人同然の人間が家に入ってきたようなものなのに、何故親しくせねばならぬのかと、更に不機嫌になることだろう。
堺は、せっかく続きそうになっていた娘との会話を何とか維持させようと、今日の話をすることにした。
「今日、『作家になろう』ゲームを作った、ソニック・ゲームの千田さんにインタビューしてきたんだ」
堺が千田の名前を出すと、文華は窓に向けていた顔をこちらに向け、
「本当?何処でインタビューしてきたの?」
と、食いついて来た。
「ソニック・ゲーム本社でだよ。帰りに、一階のショールームも見せてもらったんだ」
「へえ」
身体を僅かに前のめりにする文華に、堺はちょっと鼻高々な気持ちになった。
「お父さんはあまりゲームのことは詳しくないんだけれど、あのショールームは、普段は一般の人は入れないんだってね」
「うん、新作の発表会やイベントの時にしか開場されないんだ」
文華の好反応に気を良くした堺は、更にショールームで見てきたゲームタイトルを覚えている限り挙げていくと、彼女は一つ一つのタイトルに頷いたり、「クラスの子もプレイしている」などと応えてくれる。その上、ゲームタイトルが思い出せずに堺がつっかえると、正しいタイトルを教えてくれた。
堺が見てきたゲームのほとんどは知らないものばかりだったが、中には社会現象を巻き起こした作品も置いてあった。千田によれば、現在その作品のリメイクプロジェクトが進行中で、今年の冬には大掛かりな新作発表会を行う予定だという。
「千田って人、今はゲーム制作に関わってないの?」
「ああ、あまり関わってないみたいだね。今は広報の仕事を主にやっているって話してたよ」
「ふーん、今の会社を辞めて、独立する噂もあるんだけど、何か言っていた?」
「さあ、そこまでは訊かなかったな」
そこへ料理が運ばれて来たため、会話は中断された。
「文華は、最近は何かゲームをしているのかい?」
ゲーム関連の話題なら娘も話しやすかろうと思って堺が訊ねると、
「『鋼鉄少女』っていうシューティングゲーム」
「シューティング・・・」
千田とのインタビューのため、ある程度ゲームの知識を入れたつもりの堺だったが、ライフルを肩にかかげ、射撃しながら戦場を走り回る少女兵士の姿しか想像できなかった。
「エレキギター型のマシンガンを持った女の子が、地球侵略を目論むエイリアンを倒していく、横スクロールのゲーム」
「よこすく・・・」
武器の形態が堺の想像を超えている上に、堺が知らない用語まで出てきた。
「『超人マリオ』みたいに、左から右に進むゲームのことを、横スクロールっていうの」
娘の解説に、堺は娘がプレイしているゲームをおぼろげではあるが、想像することができた。
「そのゲームって、タートルズ・クッパ大王みたいに、最後に敵のボスが出てくるのか?」
「うん、最終ステージで、巨大UFOの奥にいるエイリアンを倒すと、ゲームクリアできるの」
「へえ、他にはどんなゲームをやっているの?」
「今はそのゲームだけ。勉強もあるし」
「そうか、小説や漫画は?読まないのか?」
すると娘は鼻で笑い、
「今時、そんなものを読んでいる人なんていないよ」
「どうして?」
「古典や現代文の授業では皆、内職しているし、先生だって何も言わない。テストでも適当に主人公の気持ちを書いていれば点数になるんだから」
「しかし、古典作品の内容がどんなものか知っておいて損はないだろう?」
「知らなくても死にはしないと思うよ」
文華が堺に追い打ちをかける。
「昔、古典作品を漫画化するブームがあったらしいけれど、それって、古典作品を漫画化でもしないと誰も読んでくれないからそうしたんでしょ?」
「そんなことはない。あれはもっと古典作品に親しみを持ってもらおうと考えられて、漫画化されたんだよ。歴史漫画と似たようなものだよ。それに、繰り返し読めば平安時代の風俗や文化など、その古典作品の舞台となった時代の知識も入ってくる。お父さんだって、昔は漫画を読んで歴史や古典の勉強をしたんだ」
「ふーん」
娘はあまり関心がないような返事をしながら、サラダにフォークを突き刺した。
その後は会話と言えるような言葉のやりとりはなく、文華は家に戻るなり、自室がある二階へ引き籠ってしまった。
堺はそのことを咎めることはせず、仕事を少し済ませると、二階の寝室に行き、眠りについた。
翌朝、堺が目を覚まして起きた時には、文華の靴が玄関から消えていた。念のために文華の部屋をノックしてから覗いてみると、部屋にはシングルベッドが一つあるきりで、鞄も、部屋の主も居なかった。
2017年12月27日