第三章

 第二回のインタビュー取材が行われる日と、百人百首を取材した第一回のインタビュー記事が掲載される日は、奇しくも同じ日であった。
 あらかじめ常磐から記事がウェブ上に掲載される予定の時間は聞き知っていたが、第二回インタビュー取材相手の都合に合わせた結果、丁度堺が移動している間に掲載時間が重なった。
 取材が控えているため、すぐに記事の反響を聞くことが出来ないと堺が言うと、常磐は特に残念がる様子も無く、
「記事で得られる反響は、掲載してから大体数時間後にわかりますから、じっくり取材に専念してください」
と言った。
 第二回のインタビュー相手は、商業作家の野間寛だった。
 野間は大学生時代に投稿小説SNSサイトで話題になり、堺が当時はまだ一社員として勤めていた出版社にて自費出版すると、たちまち大ヒットし、それ以来、何度か堺と共に仕事をしていた。
 堺が今回の件をメールにて持ち掛けると、野間は数年ぶりの連絡であったにも関わらず、昔、打ち合わせでよく使っていた喫茶店で取材を受けることを了承するメールを、その日のうちに返してきた。

 電車が事故のため打ち合わせの時間よりも三十分も遅れてしまい、漸く堺が待ち合わせ場所である喫茶店に駆け込むと、観葉植物の鉢植えの蔭に、野間らしき後頭部が見えた。
「いやー、遅くなってすいません!」
 堺がその後頭部に声を掛けて、相手の正面の席に座ろうとした。だが、人違いをしてしまったことに気付き、詫びようとした。ところが相手は、
「お久しぶりですね、堺さん! お元気でしたか?」
と、にこやかな笑みを浮かべて挨拶してきた。
「え、えーと、野間さん? ですよね?」
 混乱した頭を必死に回転させながら、堺がしどろもどろに訊ねると、相手は店内の隅々まで響くような声で大笑いした。
「いやだなあ、しばらくお会いしてなかったからって、忘れちゃったんですかぁ?」
 堺にはそれが病的にも見える太りようへの誤魔化しに聞こえた。
「最近、もの忘れが激しくて」
と、堺が冗談めかして言うと、
「変な薬で太ったわけじゃないんですよー。副職のストレスがマッハゴーゴーゴーでしてねえ」
と、間延びした喋り方と独特な表現を見せた。その上、文筆業を本職、大学卒業後に就職した仕事を副職と呼び分けているところも、昔から変わらない野間の特徴だ。
「昇進した割には給料はろくに上がらず、そのくせ仕事量は増えて、ストレスであっという間に太りましたよお。頭の方は何とか維持してますけどね、あははぁ」
 やや生え際が後退しているおでこを撫で上げる。
「それにしても、その、だいぶ」
 太ったという直接的な指摘よりも、変わったという言葉が舌先から転げ落ちそうになったが、その避けた表現の方がかえって失礼なのではないかと堺は躊躇してしまったが、相手は気付いているのかいないのか、気にする様子も見せず、
「そうでしょう? 最後にお会いしたのは一昨年の今頃でしたっけ? あの時から三十キロも増えちゃって。子供一人を常に抱っこしているようなものですから、力士に転職したいくらいですよ」
と、自虐する。
「病院に行って、医者に診てもらったんですか?そんなに急激に体重が増えるなんて、もしかしたら何かの病気かも知れませんよ」
「大丈夫、大丈夫」
 堺の心配をよそに、野間はふっくらと膨らんだ右手を振った。
「今年の春の健康診断では、今のところは血液にも内臓にも問題無いって言われたんで」
 医者が言った「今のところは」の真意を無視しているのか、それとも真に受けているのか。堺は野間の妙な前向きさに、不安を感じずにはいられなかった。
 以前はどちらかと言えば筋肉質な体型の野間だったが、今では顔が丸く、指先も赤子のようにむっちりと肉がついていた。ワイシャツははち切れそうな身体を包むのが精一杯だと言わんばかりで、ボタンは今にもぶっつりと音を立ててどこかへ飛んでいきそうだった。その上、野間が着ているワイシャツの色が薄いピンク色なので、野間の身体の豊満さを、いやがうえにも強調していた。
「それにしても、今日の取材の件、メールを読んだ時は驚きましたよぉ。創作について出版社社長がインタビューするなんて、カッコイイ企画ですねぇ。堺さんが持ち込んだんですか?」
「まさか。『日本ファン・ウェブ』の若い編集員さんが、会社の会議で提案して、それでこちらに話が回ってきたんですよ」
「へえ、若いって幾つくらい? 二十代前半?」
「年齢は聞いたことはないですけれど、多分、そのくらいの年齢だと思います。」
「へえ、今じゃ文芸について特集するウェブマガジンなんて無いのに、あえて突き進むなんて凄いですねえ。若いって、とっても力があって素晴らしいですよぉ」
 野間は頬肉に埋もれ気味の口を丸くして、恵比須のように丸々とした身体を揺らしながら笑った。


 ――まず、名前を教えて下さい。
「野間寛です。ペンネームです」
 ――ウェブへの掲載時にその名前を使っても構いませんか?
「もちろん、使ってください」
 ――職業は何ですか?
「小説家です。副職として一般の会社に勤めてます。二足の草鞋を履いてます」
 ――創作歴はマチュアの期間を含めると、何年くらいになりますか?
「アマチュアとしては中学生からなので、かれこれ十五年くらいになります。商業作家としては十年です」
 ――どんなジャンルの作品を書いてますか?
「主にホラー小説を書いてます。実録風や、未知の生物が登場する、科学ファンタジー要素の強いものとか」
 ――昔からホラー小説を書かれているのですか?
「昔は青春や学園要素の強いものを書いていました。でも、ある時、スリラーものを書いたらかなり大好評だったので、その方向に転換したんです」
 ――創作活動を始める切っ掛けは何ですか?
「中学生の時、学校祭のクラスの出し物として演劇をやることになったんです。その時に脚本を担当したことが切っ掛けですね。オリジナルの脚本を読んだクラスの皆が、作家になってみたらどうかと言ってくれて、それで作家を目指そうと思ったのです。今になって考えてみれば、おだてられた豚が木に登るレベルのお世辞だったかも知れないけれど、それでも当時は周りから褒められて嬉しかったですね」
 ――これまで発表された作品の媒体は紙と、電子書籍、どちらが多いですか?
「えーとですね」
 直木は指を折ってしばし数えた。
「紙ベースが十七本、電子書籍は二十三本ですから、電子書籍の方が多いですね。電子書籍のうち七本は、紙ベースで先に発表したものを後で電子書籍化しました」
 ――現在も、それらは書店やネット通販で販売されていますか?
「現在は電子媒体のみのダウンロード販売です。半年に一回、オンデマンド印刷での注文を期間限定で受け付けてます」
 ――これまでの売れ行きはどうですか?
「そうですねえ。紙媒体は、ちっとも売れなくなりました。紙媒体で最後に出した作品の初版部数は、あまり思わしくない結果だったので、重版はかかることもなく、在庫を売り切った後は、電子書籍のみの販売となりました。電子書籍の方が値段が少し抑えられて販売されたせいか、ダウンロード数は、紙媒体であれば重版がかかるくらい多かったです。でも今は、契約している出版社も一つきりで、サイトに作品を試し読み出来るページを設けて、自作品の宣伝をしていますが、ダウンロード数も月に一回あるかないかという程度です」
 ――売れない理由は何であると、ご自分では考えてますか?
「単純に作品がつまらないから、というのも要因の一つでしょうね。他には知名度かな」
 ――テレビドラマや映画化でもされて話題になれば、多少は売れ行きに反映されるのでは?
「それはないですね。多分、今とさほど変わらないと思いますよ」
 ――何故そのように考えるのですか?
「うーん、映像化されて話題になったとしても、ダウンロードしたデータを『魔改造プログラム』で改変されると思うから。現に、今、放送中のテレビドラマは原作無しのオリジナル脚本が売りになっているけれど、最終回までの展開を『魔改造プログラム』を使って予想しているネットの動きを観ているとねぇ・・・」
 野間はそこで息を吐いた。
 ――話題になったら、自分の作品も『魔改造プログラム』によって幾つもの最終回を作られると?
「そう。だけど、既に僕の作品は『魔改造プログラム』によってコラージュされているらしいです。でもどの自作品が改悪されたのかは知りたくないので、詳しく調べたことはないです」
 ――調べない理由は何ですか?
「自分では最高傑作だと思っていても、『魔改造プログラム』によって全く違う話になって、しかも改変された話の方が面白いと持て囃されているいるのを目にしてしまうと、最高傑作という自信が壊れそうだからです。情けないことを言っているのは重々自覚しているのですが、やっぱり怖さはあります」
 ――他の商業作家と会うことはありますか?
「イベントで顔を合わせるぐらいです。それも地方の図書館や大学の講義にゲストとして呼ばれた時ぐらい。プライベートではお互いに兼業の仕事もあって、なかなか会えないですね。SNSのやり取りもまちまちなので、お互いが生きていることを確認しあうツールになっています」
 ――他の商業作家の作品を読むことはありますか?
「面白そうであれば読んでます。同業者からの辛口評価を求める人もいるので、そういう場合は切磋琢磨し合うつもりで、一読者として評価してます」
 ――他の商業作家とはどんなことを話しますか?
「そうですね、SNSでは他の人からも見られていることを意識してしまうせいか、当たり障りのないことしか話してません。プライベートで会った時はお互いの本業の愚痴や、情報交換ばかりしてます」
 ――本業の愚痴と言いますと?
 野間は肩を竦め――丸い肩ゆえ、竦めようにもあまり動かなかったが――、
「そりゃあ作品が売れないことや、来場者数が多い同人誌即売会はどこかとか」
 ――出版社を通じて出版するという話は出ませんか?
「堺さんを前にしてこんな事を言うのは失礼かも知れないけれど、出版業界が疲弊している中、敢えて出版社と関わろうという人はいませんよ」
 ――ちなみに、来場者数が多い同人誌即売会は何処なんですか?
「博多や札幌あたりの、東京や大阪からかなり離れた地方で開かれるイベントです。以前は飛行機に乗って時間とお金をかけなければならなかったけれど、『魔改造プログラム』のせいで東京や大阪で開催されるイベントが激減し、遠征する理由も無くなったから、かえって地方でのイベントが賑わっているんです。来場者数が多い分、我々作家陣も、少しは自作品が売れるんじゃないかと思って、最近はこちらから逆に地方へ遠征に行くこともあります」
 ――野間さんは地方への遠征は、これまでに何回されましたか?
「まだ三回。本の印刷代や交通費、宿泊費が馬鹿にならなくてね」
 ――地方イベントでの本の売れ行きは如何ですか?
「具体的な数字は出せないけれど、毎回赤字です」
 ――他のサークルはどうですか?好調のようですか?
「アクセサリー系はいつも賑わってますね。コレクションとして集める方もいるので、自作のポストカードも人気です。ただ、同人誌販売ブースは閑散としてます」
 ――地方イベントの来場者数は多いと感じますか?
「全盛期のコミワンのような何万人単位の来場者数は無いけれど、イベント終了時に主催者からアナウンスされる、その日の来場者数は大体千人前後の数字だから、そこそこ多くの人が来てるんだなあとは感じてます」
 ――参加サークル数はどのくらいですか?
「百前後ですね。参加サークル数が二百を超えたイベントは聞いたことがありません。内訳としては、本の販売よりグッズ販売のサークルの方が多いかな」
 ――『魔改造プログラム』の存在は何処で知りましたか?
「まとめサイトだったと思う。最初のコラージュ作品が話題になった頃だから。それで本スレにも行ってみて。僕はプログラミングのことは詳しくないから、そこで書き込まれている『魔改造プログラム』がどのようなコードを使われているのかとか、専門的なことはちんぷんかんぷんだった。でも、あらゆる作品やそれに関する批評、感想を収集し、独自に学習して改変能力を高めていく人工知能のような特徴を持っていることだけはわかった。きっとビッグデータみたいなものだろうと思った」
 ――存在を知った時、どう思われましたか?
「違法であることに変わりはないから、アメリカあたりならプログラマーとしての能力を買う人もいたかも知れないけれど、作家である我々としては不愉快極まりなかった。その気持ちは今でも変わらないです。あと、この出来事をネタとして作品に行かせないかと思いました」
野間はそう言って、両手でボールを挟むような仕草を見せた。
 ――『魔改造プログラム』出現前と後で、大きく変わったことはありますか?
「ファンレターが一通も来なくなったことですね。それまでは新作を出す度にファンレターが発売直後の数か月間にぼつぼつ来ていたのですが、それが一通も来なくなった。他には、本の売上が徐々に落ちて行ったこと。あまりにもゆっくりと落ちていくので、早くゼロになってくれと願ってしまう程でした。他の作家さんが受けた影響も似たり寄ったりで、中には筆を折る人もいました」
 ――野間さんは、筆を折ることを考えたことはありますか?
「うん、もちろん、ありますよ。一年間、何も作品を書かなかったら、もう作家業は諦めてしまおうと思って、休筆期間を設けたんです。でも一ヵ月と持ちませんでした。何かを書いていないと、気が狂いそうになるくらい、『魔改造プログラム』のことが四六時中、頭の中に浮かんで辛くなったからです。とにかく頭の中で、ごんごんがんがん、音を立てて歩き回っている。だから、副業で生活せざるをえないことについては妥協して、ただひたすらに作品を書くことを決意したのです」
 ――『魔改造プログラム』が現れる前に戻りたいと思うことはありますか?
「毎日思ってますよ。朝、目が覚める度に、誰かが『魔改造プログラム』を一掃してくれるプログラムを開発したことがニュースで流れているんじゃないかって、期待しながらテレビをつけるんだけれど、そんなニュースはいつまで経っても流れてこない。夜、布団に入る時も、僕が眠っている間に、この世界の誰かが成功したと喜んでいることを願っているくらいですから。戻れるなら、戻りたいです」
 ――あなたにとって、オリジナルとはどういう定義ですか?
「他作品や実体験、他者の経験談などから何かしらの影響を受けて、それを自分の中で整理し、想像し、昇華すること」
 ――今後、創作界はどうなると思いますか?
「『魔改造プログラム』なんかに頼る人間が、素晴らしいものを作れるとは思えないし、素晴らしい作品に触れた時に感動できるとは思えない。そんなものを使う人間は『魔改造プログラム』と共に駆逐されるべきですね」
 ――『魔改造プログラム』の制作者に一言。
  野間は頭を横に振り、
「本音を言えば、殺してやりたいね」

 取材を終えると、野間は店員を呼び寄せ、カレーライスを注文した。
「お腹が空いちゃって」
 野間はそう言って笑った。
 堺も野間に付き合い、テーブルの上に置かれたメニュースタンドに、その店が薦めるプチ・デザートとして紹介されていたチーズケーキを頼んだ。
「堺さんは、桂木さんに最近会いましたか?」
「いえ、全然」
 野間からの質問に、堺は首を横に振った。
「そうですかぁ。最近、桂木さんの近況ブログが更新されていないから、何かあったんじゃないかと思って」
 堺は桂木の姿を思い浮かべた。野間とは対照的に針金のようにやせ細った身体を持ち、雨男だからと外出時には必ず大きな傘を持って歩く作家である。
 彼の近況ブログは原稿の進捗状況も書かれているため、桂木と仕事をしていた時はそのブログをよく堺もチェックしていた。
「桂木さんのブログは最近見ていないんですけれど、最後に更新されたのはいつですか?」
「一年半ぐらい前かな」
 野間がスマホを操作し、堺に画面を見せた。
「ほら、桂木さんの本の絶版が決まってから」
「ああ」
 野間が見せてくれた画面には、「絶版のお知らせ」と題された、自作品の大半を手掛けていた出版社が倒産したことが書かれたブログ記事があった。
 堺は、その出版社が倒産したことを報じる新聞記事を読んだ時、直ちに桂木に連絡した。
 出版権が桂木に譲渡されるのであれば、自作品を電子書籍化し、インターネット上で販売してはどうかと堺は提案したが、桂木は紙媒体に愛着があるからと電子書籍化を断った。堺は、気が変わったら連絡してくれと言ったが、桂木から連絡が来ることは今日まで無かった。
「あの人さぁ、結構思いつめやすいというか、拘りが強いというか。『魔改造プログラム』のことでかなり精神的に痛手を受けていたから心配でねぇ」
 野間は桂木と気が合うのか、プライベートでも仲が良かったので、その分、気にしているのだろう。
「野間さんから連絡をとったことは?」
「何度かメールを送っていて、既読通知は自動的に返ってくるけれど、返事自体は来てないんですよ。あの人、地方在住だし、自宅をいきなり訪ねるわけにもいかないですから」

 家に帰ると、丁度見計らっていたかのようにポケットに入れていた堺の携帯電話が鳴った。
「お世話になってます、『日本ファン・ウェブ』の常磐です」
 堺が電話に出ると、相手は常磐だった。
「やあ、常磐さん」
「堺さん、第一回目の記事はもう読まれましたか?アクセス数が凄い勢いで伸びていて、編集長も大喜びですよ」
「そりゃあ良かったです。実はたった今、商業作家の野間さんへの取材を終えて帰って来たところで、これから見るところなんです」
 どことなく浮かれた声で言う常磐に対して、自身の声は幾分疲労を伴っているように、堺には聞こえた。
「そうだったんですか、お疲れ様です」
「なるべく早く、今日の取材分の原稿を書き上げますよ」
「よろしくお願いします」
 堺は忙しいふりをし、早々と電話を切り上げた。
 書斎のパソコンにて、インターネット上の匿名掲示板を覗いてみると、インタビューを受けた百人百首の正体――記事ではカナコ(仮名)と表記していた――を知ろうとする専用のスレッドまで立てられていたが、大半のスレッドでは堺の予想通り、『魔改造プログラム』への怒りと憎しみで溢れていた。
 堺は百人百首にインタビュー取材の原稿を送っていたが、期日になっても訂正を望む返事が来ず、とりあえず編集部に送っていたのだが、今日もメールボックスには百人百首からのメールは来ていなかった。
 堺はメールの新規作成ボタンを押すと、送信アドレス欄に桂木のメールアドレスを入力し、堺の近況を簡単に書いたうえで、連絡がほしい旨を書き、送信した。
 更に、堺が社長に就任する前に共に働いていた昔の同僚にも、桂木を見かけたり、近々会うことがあれば、堺にも連絡をしてくれるよう頼むメールを送ってから、パソコンの電源を落とした。

2017年12月27日