第二章
地下商店街を歩いていた堺は業務用ドアに据え付けられた姿見を見つけ、その鏡の前に立った。
地下商店街は冷房が効いているかと思っていたが、暑さを逃れようとする人々の熱気に負けているらしく、ねっとりとした湿度の高さは、地上とさほど変わりはなかった。
仕事で人と会うことはこれまでに何度もしてきたが、今回の相手は自分よりずっと年下の女性である。粗相の無いよう、見た目には十分気を付けなければならないと頭では解っていても、昨今の若い女性が中年男性に求める清潔感を、果たして今の自分は出せているのか、内心不安でならなかった。
汗ばんだ両脇を見せ無いよう、ジャケットは脱がないでおくことに決め、堺は額にはりついている汗の玉をウェットティッシュで拭った。
柳河は五百枚のチラシに対し、一人しか反応を得られなかったことを嘆いていた。
堺と常磐の二人で「イベントに来るくらいの人だから、希望はある」と励ましても、柳河は暫くの間、二人の励ましに返事をすることも億劫だと言わんばかり力無く項垂れていたが、おもむろに立ち上がると、何も言わずに会議室を出て行ってしまった。
「柳河編集長、大丈夫でしょうか?」
堺が常磐に訊ねるが、常磐は、
「編集長の突飛な行動はいつもの事ですから」
と、鷹揚に答えた。
常磐のその言葉が言い終わらぬ内に、遠くから大きな足音が近付いてきたと思いきや、柳河が会議室に飛び込んできた。
「二人とも、これを御覧なさい」
走ってきたせいなのか、やや苦しそうに小さな声で言う柳河の腕には、大きな茶封筒が抱えられていた。
「何ですか?」
常磐が訊ねると、柳河は「しっ!」と口に人差し指を当てると、廊下に少しだけ顔を出し、周囲を窺った。
堺が常磐を横目で見やると、常磐は、柳河のその行動を不審そうに見つめていた。
柳河は辺りが安全であることを確認したのか、満足そうに振り返り、会議室のドアを静かに閉めると、鍵をかけた。
堺と常磐は柳河の行動の真意を読み取れず、柳河が何かを話してくれるまで待つことにした。
柳河は両腕で抱えていた茶封筒を、赤子を寝かせるかのようにそっと机の上に置いた。
「イベントに来るくらいだから、希望はある。そう、正しくその通り」
柳河が一人合点しながら頷く。
堺が常磐に目を向けると、常磐も堺に目を向けていた。常磐の目からは、編集長の次なる行動に何かしらの期待感を持っているように見えた。
「確かに五百人にチラシを配って一人しか反応が得られなかったことは、チラシ配布の効果としては好い結果とは言えない。しかし」
ここで柳河は言葉を切り、二人の顔をゆっくりと見回すと、先程よりも小声で、
「たった一人ではあるけれど、その人は、昨今は減少傾向にあるイベントに来る程の気概を持っている。その上、勇気もある」
と、言った。
柳河が、机の上に置いた茶封筒を手に取り、封筒の口を開けた。
「その人は、取材を了承する返事と共に、過去に自身が創作したという同人誌漫画をわざわざ送ってきてくれた。チラシには、可能であれば自作の創作物を送ってくださいと書いてはいたけれど、正直言って、創作物を送ってくれる人はいないだろうと思っていた」
柳河が封筒の中に手を入れる。
堺は知らず知らずのうちに、口の中の異様な渇きを感じた。
柳河が封筒の中から一冊の薄い本を取り出し、封筒の上に置いた。
フルカラーの表紙には若い男性二人が背中合わせに立っているイラストが描かれており、二人の間にタイトルの文字が入れられている。左下には小さく、この同人誌を制作した作者と思しきペンネームが書かれている。
「これ・・・」
堺が、止めようもない程、身体の底から溢れ出る質問の濁流に呑み込まれそうになっていると、常磐が先に口を開いた。
「この同人誌は、本当に取材を了承してくれた人が描いたものなのですか?」
堺は、真っ先にそのことを尋ねる常磐に驚きつつも、柳河の反応を窺った。
「常磐、送り主がこの同人誌の作者になりすましているとでも言うのか?」
柳河は堺のその質問に、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。
「俺はなりすましなんかではなく、この同人誌の作者は、間違いなく取材を了承してくれた人と同一人物だと考えている」
柳河が自信に満ちた顔で答えた。
「それは編集長の勘ですか?」
鋭い質問をする常磐だったが、唇の端はやや上を向いており、どこか愉しんでいるように見受けられる。
「そう、勘だ」
「その勘は、同人誌即売会イベントに参加してきた、長年の経験に基づいたものですか?」
「おお、もちろんだとも」
なりすましではないという根拠が、柳河個人の“勘”であるにもかかわらず、本人はいたって堂々としている。
「俺の勘が正しいのかどうかは、それは堺さん、あなたに確かめてもらわなくちゃなりません」
急に話題の中心が己に移動した堺は、思わず身を仰け反らせた。
「同人誌の送り主にインタビューする、ということですか?」
柳河が大きく頷いた。
「丁度、十六時ですね。この同人誌の送り主、『百人百首』というペンネームなのですが、彼女が返事してくれたカードに、連絡可能な時間帯が水曜日と木曜日の午後と書かれていたので、早速連絡してみましょう」
「え、え、あ、彼女?」
急な動きについていけない堺が戸惑っていると、柳河は、
「ああ、その人の連絡先はですね、このカードに書いてありますから」
と、同人誌の下敷きにしていた封筒からカードを取り出し、堺にカードを差し出した。
「いやいや、ちょっと待って下さい。相手は女性なんですか?」
慌てふためく堺の態度に、柳河は怪訝そうに、
「そうですよ、女性ですよ」
と、答えた。
「年齢は?」
「カードの年齢欄には、三十二歳とありました」
「さんじゅうに!」
堺の反応に常磐が心配そうに訊ねる。
「堺さん、どうかされたんですか?」
「いや、その、あの」
堺はこの場を凌ごうとするも、口調が知らず知らずのうちにしどろもどろになっている。
「何か不安なことでもあるのですか? 不安な要素があれば、出来るだけこちらも対応しますよ」
柳河にも心配されてしまい、堺は遂に観念した。
「最近、そんな若い女性と仕事の関係で接したことが無いので、いざ先方に会った時に怪しいオヤジと思われるんじゃないかと不安になって」
常磐と柳河が顔を見合わせる。直後、会議室には二人の笑い声が響き渡った。
「いやあ、失礼、失礼」
涙目になっている柳河が、顔を真っ赤に火照らせている堺に謝った。
「そこまで怖がることはありませんよ、堺さん。こちらは仕事でインタビューするのですから」
「そりゃあ、そうかも知れませんが」
「堺さんのところに出版の依頼をされる方は、若い人は来ないんですか?」
常磐の質問に堺は肩を竦めた。
「全然。私よりもずっと年齢層が上のお客さんばかりですよ。持ち込まれる原稿の内容も、エッセイか、自叙伝がほとんどで、僅かに詩集や短歌、あとは料理や裁縫などの実用本だけですね」
「それなら尚更、この女性に会って話を訊かなきゃなりませんよ。今時、こんな勇気がある人はなかなかお目にかかれませんよ」
柳河は、まだ直接会ってもいない女性をやたらと褒めそやす。
「常磐、そこに置いてある電話機、こっちまで引っ張ってこられるか?」
常磐が立ち上がり、会議室の隅に置かれている固定電話機をコードの長さに気を付けながら、テーブルの上に置いた。
待ち合わせ場所として相手が指定してきた、地下商店街の一角にある喫茶店に入ると、店内には既に何人もの客がいた。
堺は最初にカウンターに行き、軽食を注文した。
軽食が出来上がるまで待っている間、堺が店内を見回すも、取材相手と思しき女性客は見つからなかった。
「お待たせしました」
店員に声をかけられ、堺は注文したサンドイッチを載せたトレイを受け取った。
堺は、店内の奥まった席に取材相手が来ているのではないかと思い、席を探すをふりをしつつ奥へ足を向けると、やや薄暗い隅の席に、こちらに背を向けて座る、明るい茶色の髪をショートカットにした女性がいた。その女性のテーブルの端には、堺との待ち合わせのための目印である文房具店のロゴが入ったビニール袋が置かれており、向かいの席には誰も座っていなかった。幸いにも、彼女の席の周りに他の客は座っていない。
「あのう」
堺がその女性に声を掛けると、相手は文具店の新商品紹介のチラシから顔をあげ、振り向いた。モデルのように綺麗な顔立ちをしている。
「『背中合わせの二人』を描いた、百人百首さんですか?」
堺が相手に聞こえる程度の小声で、編集部に送られてきた同人誌のタイトルとペンネームで訊ねると、相手はじろじろと堺を見てから、微かに頷いた。
「ご連絡しました、堺です」
堺は空いている隣のテーブルにトレイを置き、胸ポケットの名刺入れから名刺を取り出して相手に差し出すと、相手は片手で名刺を受け取った。
「・・・・・・座ってもいいですか?」
いつまでも突っ立っている堺と、不信そうな彼女の反応がかえって人目を惹くのではないかと思い、堺が訊ねると、彼女は何も言わずに、しかし先程よりもしっかりとした調子で頷いた。
堺は隣のテーブルに置いたトレイを彼女のテーブルの上に並べ置くと、向かいの席に座った。彼女は堺との待ち合わせ時間よりも暫く前から来ていたらしく、トレイの中は、アイスコーヒーのグラスがかいた汗で大きな水溜まりを作っていた。
相手は何も言わず、堺から受け取った名刺を凝視している。と、思いきや、スマートフォンを取り出すと、何か操作を始めた。
誰かから連絡が来たのかと堺が暫く待っていると、相手はスマートフォンの画面から堺の顔へと視線を移し、
「堺さんですよね?」
と、ようやく口を開いた。
「ええ、そうです」
それでも相手は疑い深く、上目づかいで堺を見つめている。
堺の両脇や背中が急に冷たくなってきた。
電話でのやり取りでは、柳河は堺の性別や服装は特に伝えていなかったため、かえって怪しまれているのかもしれない。もしかすると、インタビュー取材を口実に、マルチ勧誘を始めるのではと思われているのか。
柳河が企画した件とやや異なる調査内容となったが、電話口では本人はそれでも構わないと言っていたようだ。堺も、柳河に促されて電話口で少し挨拶したが、相手は「よろしくお願いします」としか言わなかった。
「ネットに上がっている写真とは随分様子が違うんですね」
そう言われた堺は苦笑いした。ストレスのせいか、白髪も小皺も、鏡を見る度に新しく増えている気がすることが最近の悩みだったからだ。
「最近は写真を撮られる機会が少ないもので」
堺はそう言い繕った。
「えーと、それではインタビュー取材を始めてよろしいでしょうか?」
「はい」
相手は端的に応えた。
「百人百首さんの本名や年齢など、あなた個人が特定されるような情報は書きません。ただし、取材内容の正確さを維持するために、取材中は録音をさせていただきます。よろしいですか?」
「はい。あの、こちらも録音していいですか?」
「それは構いませんが、原稿は掲載前に必ずお見せしますよ?」
相手はそれに応えることなく、ICレコーダーを置いた。大方、こちらが書く内容に齟齬が生じることを防ぐためなのだろうが、、堺はその警戒心が妙に印象に残った。
「それでは始めます」
二本のICレコーダーがテーブルの上に並び、赤色のランプが点灯していることを確認すると、堺は用意してきた質問リストに目を落とした。
――あなたのお名前は?
「百人百首です」
――「百人百首」とは創作活動時の名前ですか?
「そうです。ペンネームとしてこの名前を使っています」
――ウェブへの掲載時にこの「百人百首」の名前を使ってもかまいませんか?
「ええ」
――職業は何ですか?
「会社員です」
――創作活動歴は何年ぐらいですか?
「十五年近くになります。中学生の頃からやっているので」
――創作ジャンルを教えてください。
「一次創作の漫画を描いてます。一話完結の短編作品が多いです」
――創作をしようと思った切っ掛けは?
「幼少時によく観ていたアニメ映画が好きで、その映画に登場するキャラクターの絵を描いている内に、あの映画の主人公たちは幸せなラストを迎えたけれど、その後はどんなところで暮らしているのかと想像するようになりました。その内、自分でその映画の主人公たちの物語を作るようになっていきました。最初は二次創作から、創作の世界に入りました」
――現在は一次創作をされているとのことですが、二次創作は今はされていないんですか?
百人百首は堺を憐れむような表情をほんの一瞬見せたが、直ちにその表情を隠してしまい、「私が描かなくても、代わりはいますから」と答えた。
――これまで漫画賞への自作品応募や、個人誌を出された経験はありますか?
「漫画賞への応募をしたことはありませんが、個人誌を出したことが三回あります。他に、友人と合同誌を出したことが一回あります」
――コミワンのような、創作活動者向けのイベントに参加されたことはありますか?
「合同誌を出した時、サークルとして参加しました。その後は一般参加者として、何回かイベントに行ったことがあります」
――またサークル参加をしたいと思いますか?
「いいえ」
――それは何故ですか?
「親しい仲間以外の人に、自分の作品を読んでほしくないからです。どうせ、『魔改造プログラム』の素材に扱われるだけですから」
――創作仲間はいますか?
「います。片手で数えられる程度の人数ですが」
――創作仲間とはどこで知り合うのですか?
「一言で言えば人脈ですね。他の人がどうしているかはわからないですけれど」
――その人脈について、具体的に教えてください。
「創作者同士の集まりに参加して、そこで紹介を受けるんです。私の場合は、友人とサークル参加したイベントで、たまたま隣のスペースにいたサークル参加者と何度かメールのやり取りをして、創作者同士の集まりがあることを知ったんです」
――まるで、一見さんお断りの会員制クラブみたいですね。
「そうですね。傍から見れば、まさしくそんな感じです。閉鎖的ではありませんが、かと言って、誰でも受け入れてくれるものではありません。あまりオープンな集まりではないと思います」
――創作仲間の集まりは定期的に行われるのですか?
「ええ、偶数月で集まりがあります」
――その集まりはオンライン上で開かれているのですか?
「そうです。と言っても、必ず参加しなければならいものではなく、参加したい人が参加する形になってます。参加しなかったからといって、何かペナルティが発生することもありません。ただ、半年に一度は顔合わせのためにオフ会を開きます。そこで新しく仲間に加わる人を紹介されることもあります」
――創作仲間とは、どんなことを話しますか?
「他の人が書いた作品の感想や、好きなジャンルについてとか、あとは最近観たテレビドラマや映画の話です」
――創作仲間同士で、『魔改造プログラム』について話題になったことはありますか?
「私が覚えている限り、話題になったことはありません」
――創作仲間の会には、創作者でなければ紹介してもらえないのですか?
「ええ」
――その創作仲間の会は、複数の会にまたがって参加してもいいものですか?
「私は一つの会しか知りませんし、属していませんが、そうする人もいます。やたらと会を渡り歩く人もいます。でも、そうやって幾つもの会を渡り歩いている人は。かえってメンバーから警戒されます」
――それはどうしてですか?
「何かトラブルを起こすから、一つの会に長い間いられないんじゃないかと疑われるからです」
――トラブルというと例えば?
「既婚者に不倫を迫ったりとか、合同誌印刷のために出し合ったお金を持ち逃げしたとか。でも一番のトラブルは、コラージュ用の素材探しをしていることですね」
――素材探しとは、『魔改造プログラム』で使う作品データを探しているということですか?
「そうです」
――創作仲間以外の人に、創作活動をしていることを明かしていますか?
「明かしていないです」
――その理由をお聞きしても?
「言いたくないです」
――もっと創作仲間がほしいと思いますか?
「いいえ、思わないです。広く、浅くの付き合いが苦手だから」
――どんな時に創作の喜びを感じますか?
「作品が出来上がった時です。作っている最中は苦しいと思うこともあるけれど、出来上がった時が一番喜びを感じます」
――創作活動をおおっぴらにやりたいと思うことはありますか? 例えば、ネット上に自作品を公開するとか。
「思いませんね。ネットに載せればすぐに拡散され、ひどい目に遭うから」
――今まで、自作品をネット上に上げたことはありますか?
「昔、それこそ学生時代、『魔改造プログラム』が広がる前はSNSに上げていました」
――差し支えなければ、そのSNSの名前を教えてください。
相手は堺が昔、耳にしたことがあるSNSの名前をあげた。そのSNSは創作活動者向けのSNSの類ではかなり大規模なものだったが、『魔改造プログラム』によるコラージュ作品の大量投稿への対応が追い付かず、一年と持たずに閉鎖に追い込まれた。
――『魔改造プログラム』を初めて知った時のことを話してください。
「創作SNSのコメントに、この絵は『魔改造プログラム』で作られた盗作だという言いがかりをつけられて、それで初めて『魔改造プログラム』というものがあることを知ったんです」
――そのSNSでは、他の人に対してもそんなコメントが書き込まれていたのですか?
「私はかなり最初の時に言われました。『魔改造プログラム』がどういうものかを検索して、これは言いがかりだとそのコメントに対して反論してしまったのです。そうしたら、あっという間に拡散され、匿名掲示板から来た悪戯ユーザーにまで悪く言われるようになりました。まあ、その直後からどんどん騒動の規模が大きくなっていって、結局私がそのSNSから退会して他のSNSに移った直後、そのSNSは閉鎖されました」
――その騒動の中、あなたはどんなことを感じていましたか?
すると相手は黙ってしまった。
考えていることが、なかなか言葉にならないのか、何度か口を開きかけては閉じることを繰り返した。
やがて口早に話し始めた。
「最初は馬鹿なことをする人がいるものだって思った。そんなことをしてもすぐに警察に捕まると思った。実際、すぐに捕まったし、犯人が逮捕されたから、これでこの騒動も終わりだと思った。でも終わらなかった。終わりは始まりというけれど、まさにその通りのことになった。最初は流行作品の過激な同人誌を描いて儲けようとする人たちが好んで使って、それから徐々に広がって行ったって噂があった。パロディ画像が何千枚、何万枚も流れてきて、丸々単行本一冊の作画がいじられたものまであって、ぞっとした。それでも新しく登録したSNSにいた頃は、投稿した作品を限定公開にすることで、悪質なコメントをつけられることを防いでいた。けれど、ある日、ネット上に私の画風で有名作品のコラージュが作られて、気持ちが潰された。それ以来、ネット上に自作品をあげていない」
――今も、あなたのそのコラージュはネット上に流れていますか?
「あります」
相手は一息つくためにアイスコーヒーを飲んだ。
――見せていただくことは出来ますか?
相手はやや躊躇う様子を見せたが、すぐにスマートフォンを操作し、目的の画像を見つけ出すと、堺に見せた。画面には、堺が編集部の会議室で見た同人誌の画風で、堺が子供の頃に人気を博していたスポーツ漫画の内容が、台詞もコマ割りも、そのままそっくり再現されていた。
――スポーツ漫画を描いていたんですか?
相手は首を振った。
「そのコラージュに使われたスポーツのルールすら、ろくに知らないレベルです」
他にも戦争漫画や際どい描写に溢れた成人向け漫画、中にはひたすら排泄シーンが描かれた画像もあった。一度コラージュ素材として出回ってしまえば、そのコラージュ画像を元に、データとして使用されてしまうのだ。
――何故、創作を再開されたのですか?
「何年か前に、商業作家が『魔改造プログラム』で作られたコラージュ画像に精神が壊れて、自殺したというニュースを聞いたからです。私はその人の作品がとても好きだったから・・・。遺志を継ぐなんておこがましいですけれど、もう一度創作しようと思ったんです。ネットに上げず、信頼できる人にだけ見せるなら、大丈夫だろうって思って」
――仲間内の作品に対して、オリジナルかどうかを問う声が出ることはありますか?
「私が知る限り、出たことはありません。目の前に出されたものは、本人が既存作品の二次創作であることを言わない限り、全てオリジナルとして受け取っています。オリジナルか、そうでないか、疑いを持つときりがないので、考えないようにしているのです」
――オリジナルと、そうでないものの違いは何だと思いますか?
「原作への愛があるのがオマージュ。笑いをとろうとしているのがパロディ。原作への愛がないものが盗作って、言ったこともあったけれど。今となってはオマージュもパロディも使われない言葉ですね。オリジナルも、その時々で曖昧になるので、正直、違いについてはわからないです」
――『魔改造プログラム』が現れる前に戻りたいと思うことはありますか?
「時々あります。でも、どんなに願ってもそれが無かった時代には戻れない気がします。砂糖の味を知ってしまったら、もう二度と砂糖の味を忘れることが出来ないように」
――今後、創作界はどうなると思いますか?
「それがどの作品から影響を受けているか、類似する点はないかと粗探しする世界にますます進んでいくと思います。正しい意味での盗作という言葉ではなく、部分盗作というのかな。そういうのを見つけ出して、作者を叩き潰す世界になっていくと思います。悲観的ですけれど」
――『魔改造プログラム』の制作者に言いたいことはありますか?
「自分で作っておきながら、処分できずに持て余してしまうところを見ると、プログラマーとしてはとてもレベルが低いのでしょうね」
「ありがとうございました。以上で、こちらからの質問は終わりです。何か訂正しておきたいことなどはありますか?」
取材を終えると、相手は、
「あの、やはりペンネームは仮名にしてもらえますか?」
と、訊ねた。
「ええ、構いませんよ」
堺が了承すると、相手の肩の強張りがようやくほぐれたようだった。
その日の夕方、堺が同人誌の送り主に取材をしてきたこと、取材原稿をこれから作ることを常磐にメールすると、数分後、まだオフィスにいたらしい常磐から電話がかかってきた。
常磐は取材の様子を知りたがったので、堺が簡単に話すと、
「創作者同士の集まりなんてあるんですね」
と、感心したように言った。
「うん、僕も初めて知りましたよ。意外とアナログなやり方だなあって、かえって驚きましたね」
「ところで、その百人百首さんは、あの同人誌の送り主だったんですか?」
「本人は、そうですって答えてましたから、そうだと思ってますよ」
「ふうん」
常磐が考え込むように唸った。
「本人であることを確かめるために、その場で何か描いてもらったらよかったんでしょうけれど」
「疑り深いですなあ、常磐さんは」
堺がからかうと、常磐は、
「疑いたくもなりますよ、原作者になりすます騒ぎがひどかったから」
「気にし過ぎは、かえって毒ですよ」
「そうかもしれませんが・・・」
それでも何か釈然としない様子を、常磐は見せた。
「常磐さんは自分で何か創ったり、創作をしている知り合いはいないの?」
堺がふと何気なく問うと、電話口が急に静かになった。
「もしもーし」
電話が切れてしまったのかと思い、堺が大きめの声を出すと、
「僕が創るものと言ったら、料理だけですよ」
と、堺と同じくらい大きくて快活な声が返ってきた。
2017年12月27日