第一話 誰もが知る物語

 昔々、あるところに、それはそれは、とても美しい、見目麗しい王様がおられました。
 王様は美しいものを大変こよなく愛されておりましたので、その国はありとあらゆるものが美しく、この国を訪れる旅人があれば、その国の人たちは自慢げにこの国の素晴らしさ、そして王様の美しさを話し出すのでした。

 ある年、王様は己の国に相応しい王妃様となる姫君を、遥か遠い国から迎えられました。
 姫君は王様と同じくらい美しく、王様は一目見た途端に姫君のことを好きになられました。
 姫君も初めて王様の姿を見て、どんなに緻密な絵を描く画家であっても、あらゆる言葉を知る詩人さえも、人々に伝えることが出来ない美しさがあることにお気づきになられました。

 国民はこの結婚を大いに祝福しました。
  この国には美しい王様がいるぞ
  かの国には美しい姫君がいるぞ
  美しい王様と美しい姫君が出会ったぞ
  夜空の月のような仲睦まじさ
  今日も一緒にお過ごしさ
 子供たちが酔っ払いたちを真似て出鱈目な調子で歌い回る程、王様と王妃様はとても仲が良く、いつも一緒におられました。
 王様は愛する王妃様の絵を描きながら、
「私は幸せだ。こんなに美しい人が妻となったのだから」
と言うと、王妃様は、
「私も幸せです。こんなに美しい人が夫となったのですから」
と言いました。

 しかし王様は段々、不安を感じるようになりました。
「こんな幸福な思いが、やがて来たる死によって壊されてしまう。いや、その前に老いが来る。しわとシミだらけとなった姿形を王妃の前に曝け出せるだろうか。乾いた白髪頭となった王妃を愛せるだろうか」

 王妃様は、近頃の王様が何かを悩んでおられることを気になさり、ある暖かな昼下がり、森の中の散歩に行こうと王様を誘われました。
 森の中を歩きながら、王妃様は、森の奥に棲むという大きな熊の話や、小さな花園の中に立つと姿を見せる妖精の話など、あれこれと王様に話しかけますが、王様は王妃様の話など上の空でした。
 何か美しいものがあれば王様の気も晴れるかもしれないと考えた王妃様は、王様を泉の傍に残し、花冠を作るための花を摘みに行かれました。
 一人になった王様が己の若さ、ひいては王妃の美しさを留めておく方法はないものだろうかと思案なさっておられますと、王様の前に魔女が現れました。
「王様、美しい王様。一体何をお探しですか?」
 王様は、この若さと美しさが永遠となる方法を探していると答えると、魔女は、
「王様、美しい王様。わたくしめは永遠に老いることも無く、死ぬことも無い身となる魔法を知っています」
「魔女よ、そなたは不老不死の魔法を知っているのか?」
「ええ、知っております」
「魔女よ、どうか私と王妃に、その不老不死となる魔法をかけておくれ。二人の美しさが永遠となれば、これ程幸せなことはない」
 魔女はいとも簡単に、王様と王妃様を不老不死にする魔法をかけました。
 王様が試しに、腰に携えていた剣で手の甲を傷つけてみると、みるみる傷口が閉じてゆき、やがて傷など無かったかのように、元の肌に戻りました。
「素晴らしい! これで美しい妻と二人で美しいものに囲まれて永く過ごすことが出来る!」
 喜ぶ王様に、魔女は言いました。
「王様、あなたの願い通り、王様と王妃様を不老不死にしました。今度は私の願いを叶えてください」
「私に出来ることなら、何でもいたそう」
 魔女は王様に向かって片手を差し出し、こう言いました。
「王様、あなたのその美しい顔を私に下さい」
 王様は驚きました。
「私は、この美しい顔と王妃の美しい身が老い、土に埋められて腐ることを恐れたから不老不死にしてほしいと願ったというのに、私の顔を寄こせとは何事か!」
 途端に、魔女の身体が大きくなりました。
 王様が見上げれば見上げる程魔女の身体は大きくなり、遂には天を覆うような大きさにまでなってしまいました。
「うぬぼれ屋の王め!」
 魔女は国中に轟き渡るようなどら声を発するや、ああ何と恐ろしい、王様の顔を指で抉り取ってしまい、その顔を食べてしまったのです。
 王様はあまりの痛みに耐えきれず、その場に倒れ伏せ、
「誰か! 苦しい! 誰か! ああ痛い!」
と、喚きました。
「王様! 王様!」
 王妃様が騒ぎを聞きつけて、王様に駆け寄りました。
「王様! どうされたのですか? 何があったのですか?」
 愛しい王妃様の声に、王様は顔を上げました。
「寄るな、化け物!」
 王様は王妃様の顔を見るや、王妃様を突き飛ばしました。
 王妃様は王様の言葉に、王様の姿に悲しみ、涙を流しました。
「王様、王様。何故そのようなお姿になってしまったのですか? あなたのあの美しいお顔はどうなさったのですか? そこの泉にて顔を映して御覧なさいませ」
「泉なぞ、どこにあると言うのか! 此処にあるのは枯れ木と、赤茶けた土、水藻で濁った沼があるだけではないか!? そして目の前には醜く、腐りかけの老婆がいる!」
 再び、世界中に響く雷鳴のような声が聞こえてきました。
「可哀想な王様だ。傍の枯れ木は、今まさに花開きかけている蕾を幾つも枝先につけた若木だぞ。
 惨めな王様だ。足元の赤茶けた土は、世界中の国々が羨む、旱魃知らずの肥沃な黒い土だぞ。
 哀れな王様だ。水藻で濁った沼は、澄んだ水しか湧き出ぬ、妖精が住まう泉だぞ。
 愚かな王様だ。目の前に立つ老婆は、お前が星の数よりも、大砂漠の砂粒よりも、多くの愛の言葉を囁いた王妃だぞ」
 魔女は高らかに嘲笑いました。
「王よ! お前は私との約束を破った! 罰として、目に入るもの全てが醜く見える世界で、永久にその生き恥を晒すがいい!」
 そう告げるやいなや、魔女は一瞬で姿を消してしまいました。
「王妃、王妃だと言うのか?」
 王様が声をかけます。
 王妃様は、はらはらと涙を流し、答えます。
「王様、王様、あなたを永遠に愛すと神に誓った私でございます」
「王妃、王妃、私を赦しておくれ。私には美しい王妃の姿が見えないのだ。私の前には、乞食さえ見向きもしないような汚れた服を着た、王妃の声を持った老婆が見えるのだ」
「王様、王様、私を赦して下さい。私には美しい王様の姿が見えないのです。私の前には、顔があるはずのところに、暗い森の中で倒れている木の洞のように真っ暗な穴が開いている、王様の声を持った異形が見えるのです」
 王様と王妃様は互いに抱き合い、泣きました。
 もう美しい国も、美しい宝物も見られなくなったのです。何もかもが醜く見えてしまうのです。何よりも悲しいことは、美しい王妃様の姿を、もう二度と見られないことでした。

 あるところに、それはそれは、とても醜い、見目麗しくない王様がおられました。
 王様は美しいものを大変こよなく愛されておりましたので、その国はありとあらゆるものが美しく、この国を訪れる旅人があれば、この国の人たちは悲し気にその国の素晴らしさ、そして王様の醜さを話し出すのでした。

2018年2月24日