火に対する個人的概念の短い連鎖
「火だ!」
私は咄嗟にその声が聞こえた方向に振り返った。
確かに火があった。
正確に言えば、古い木造の建物が火事になっていたのである。
だが『火事』というよりは、まさしく『火』と呼ぶに相応しかった。
焚火のような小さなものではなく、それは巨大な火だったのだ。
火は時折吹く風に煽られ、風にはためく布のように揺れ動いてた。
その動きは、太古から延々と続く人間の踊りを連想させた。
滑らかに、決して動きを止めることはなかった。
艶めかしく、その指先や腕を振り上げていながら、それでいて足元はしっかりと地に着かせている。
時折その足がステップを踏み、更に大火を広げる。
私は暫くその建物が火に蹂躙され、犯される様を眺めていたが、やがて私はその場から離れた。
そろそろ消防隊が来る頃だろう。
向こうからは幾人もの野次馬が駆けてくる。
消防隊は火を消そうと躍起になり、野次馬は巨大な火から迫りくる熱気に興奮し、騒ぐのが仕事なのだから。
私は消防隊ではないし、見知らぬ他人と共に一時の光景を眺めることを生業としていない。
私が一歩進む度、背後の暖かさからは遠ざかり、冷たい夜が私を迎え入れる。
あ と が き
台所に立っていて、ふと「火だ!」という一文が頭に浮かびました。
浮かぶと言うよりも、何かが破裂した音のように、突然聞こえた感じかも。
2009年11月7日
異常に飢えた人
唇の間から少し零れ、碗の中に転がる。
零れた分を、他の残りとまとめて口の中に運び込む。
碗の中身が急速に無くなっていく。だが、まだ炊飯器に白飯が入っている。
そのことに気づくと、途端にスピードが上がる。また新たに食べられるのだから。
生玉子は既に食べた。1日1個が限度だ。
他には?
頭を働かせる。
ああ、缶詰があったな。確かイワシだった。
碗の最後の一口を口に入れるなり、立ち上がり、炊飯器のもとに向かう。
ほとんど噛まずに飲み込む。
炊飯器の蓋を開け、冷めた白飯を碗に盛る。
缶詰だから、先程よりもやや多めに盛らねば。
炊飯器に残っていた分を全て碗に移し終える。
しゃもじで最後の一粒を掬い取る。
碗をテーブルに置き、缶詰を棚から取り出す。
缶詰のプルタブを指にかけ、手前に引く。
少しだけ開いた隙間から出た汁を、排水溝へ捨てる。
私は過食症者ではない。
底のあるバケツのような胃袋の持ち主なのだ。
過食症者のように食べて食べて、吐き出さない。
吐き出せば、余計に飢餓感が増すからだ。
バケツの胃を常に満杯にしておけば、満足感が得られる。
体の中の隙間を全て埋めようとするかのように、私は大量に食べる。
食べ物で孤独感を埋めるのだ。
孤独感は体の隙間から生まれる。だから食べる。
最近、食べ物の味を気にしなくなった。
腐っていなければ、何でも放り込むようになった。
一応、栄養のことを考えながら、食べる物を選んでいるつもりだ。
体重も増えた。
味を気にするよりも、隙間を埋める方が大事だ。
食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて
食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて
埋める埋める埋める埋める埋める埋める埋める埋める埋める埋める埋める埋める
埋める埋める埋める埋める埋める埋める埋める埋める埋める埋める埋める埋める
箸のスピードが緩まる。
バケツの中身が溢れる寸前だ。
私は諦めて箸を置く。
碗にはまだイワシの汁に濡れた白飯が残っている。
また後で食べれば良いだろう。
暫しの休憩。
孤独感はまだ消えない。
あ と が き
自棄になって暴飲暴食。
満腹になれば何かが変わる気がする。
2009年11月14日