第十章
インタビュー企画最終回の記事は、予定通りの日時に『日本ファン・ウェブ』に掲載された。
亡くなった二人への追悼文を最後に載せた記事の分量は、今までの半分にも満たないものだったにも関わらず、その反響はすさまじく、サーバーが一時ダウンした。
柳河はサーバー・ダウンのトラブル対応に追われながらも、堺のこれまでの労力に感謝していると涙を流し、常磐は、大声で指示を出したり泣いたりと忙しい編集長の傍らで、ティッシュの箱を持ちながら苦笑いしていた。
常磐は病院での出来事は初めから無かったかのように、今までと変わらない態度で接してきた。堺も、あの時の件には触れなかった。
堺が創作界隈の当事者たちにインタビューし、執筆してきたこの記事が読まれることで、創作界の危機意識につながったのかどうか、それははっきりとした形で直ちに目に見えるわけではないので、この反響の大きさに対し、堺は何とも言えない気持ちになった。井筒の秘密を墓場まで持って行くことをあの男に約束してしまった今、尚更、その漠然とした不安は堺の心中を乱した。
最後のコミワン開催となる大晦日。
堺は壁際に設けられた企業用ブースの一つに座って、会場を行き交う人々をぼんやりと眺めていた。関係者のたっての願いを受け、出版社社長がその場で原稿を講評してくれるという企画に参加していたのだ。コミワン全盛期と比べれば、三分の一にも満たないブース数だったが、それでも一般参加者の波は絶えなかった。
その人の群れの中から、見知った顔がこちらに向かって近付いて来た。
「お疲れ様です」
コミワン主催者の豊島だった。コミワン開催終了を宣言した動画の撮影時よりもさらに痩せてしまったようだが、顔色はあの頃よりずっと良くなっていた。
「お疲れ様です、豊島さん」
堺も立ち上がって挨拶した。
「どうですか? 来てますか?」
「開始から二時間で、三人の方が漫画と小説原稿の持ち込みに来ました」
「そりゃあ好かった。一人でも来てくれれば御の字ですからね。そうそう、会場前のコンビニで、何か買われましたか?」
堺は足元に置いてある鞄から、コンビニの袋を取り出した。
「年末年始限定『深海トモダチ』コラボキャンペーンによる、知床昆布おにぎりを・・・」
極秘情報を伝えるスパイのように、声を潜める堺。
「よくわかっているじゃないですか、堺さん」
豊島も、堺に合わせて小声で話す。
二人は互いに手を差し出し、同好の士として力強く握手した。
だが、二人の間の緊張感は長く持たなかった。
「ふっふっふ」
堺が堪え切れずに笑い出すと、豊島も笑い出し、遂には周囲にいた人たちが何事かと振り向くほど、大きな声で笑い合った。
「いやあ、本当に今回、堺さんが参加してくれて有り難いです」
豊島が堺の肩を叩きながら言った。
「打ち上げの会にも来て下さいね。後で連絡しますから」
豊島はそう言って、再び人混みの中へ姿を消した。
「お父さん」
聞き覚えのある声に振り返ると、
「文華!よく来たなあ」
娘の文華が立っていた。会場内は熱気に包まれているせいか、文華は来ていたジャケットを脱いで、腰に巻いている。
「隣の会場で、ソニックゲームのイベントがあったから」
相変わらず視線を合わせて話そうとしない文華だったが、堺としてはわざわざ顔を出してくれたことだけでも嬉しかった。
「千田さんは来ていたのか?」
「うん、ゲーム評論家の人との対談企画に出てたよ」
「そうかあ、一人で来たのか?」
頷く文華。
「お父さんは企画の仕事があるから、一緒には回れないんだけど、オリジナルの同人ゲームを扱っているサークルもあるみたいだから、行ってみたらいいよ。案外、文華が好きなものも見つかるかもよ」
「うん・・・」
妙にそわそわとする文華に、堺は、
「もしかして、受験のことを気にしているのか?」
と、訊ねた。
「気にするに決まっているじゃん。来年、というか、もう半月もないけど、共通試験の日が近いから」
口を尖らせて喋る文華を、堺は励ました。
「大丈夫だよ。受験に合格すれば、好きなだけゲームをすればいいさ。いっそのこと、自分へのご褒美を先に買うつもりで、ゲームを買って来たら?」
文華は堺の励ましには何も答えず、顔を上目づかいで見つめた。
「どうかしたのか?」
堺が心配して文華の顔を覗き込むと、文華は、
「しばらく会わないうちに、白髪が増えたなって思ったの」
と、堺の白髪を更に増やすようなことを言い放った。
「ま、まあ、最後に文華に会ったのは、お父さんがまだ病院にいた時だからなあ。あえて白髪染めを使わない、カッコイイ中高年をちょっと目指そうかなって、最近考えているんだよ」
やや冷たい視線を受けつつ、堺は己のショックを誤魔化した。
「あのね、お父さん。お母さんから伝言があるの」
と、文華が切り出した。
「伝言?」
その言葉を聞くと、何故か嫌な予感がした。退院した日に小競り合いを起こして以来、一度も顔を合わせたことも無く、電話もメールも無いので、堺の中ではぎくしゃくした関係のしこりが残っていた。
「お父さんに次に会うことがあったら『森の貴婦人が見たい』って、伝えてって言われたの。どういう意味か解かる?」
「お母さん、文華にそう言ったのか・・・?」
堺が確認すると、文華は頷いた。
堺は頭を掻いた。
「『森の貴婦人』と呼ばれる花があるんだ。昔、それこそ、お父さんとお母さんが結婚する前に、その花を見に旅行に行ったことがあってな」
「・・・それで?」
文華は話の続きを催促した。
「それでって、いや、まあ、その、うん。そこで、こう、色々と・・・」
堺としてはうやむやに終わらせたかったが、文華はそれを突いた。
「色々って、どうしたの?」
「・・・・・・喧嘩した」
娘からの視線が冷たくなることを覚悟の上で告白した堺だったが、文華はその予想を裏切った。
「それなら、もう一回見に行かなきゃね」
文華は、堺に対して冷たい視線を送ることも、呆れ顔もせず、明日の天気の話をするかのような表情で堺を見つめていた。
「その花を見に行く時は、私も誘ってね」
「も、勿論。見頃は五月から六月あたりだから、勝枝さんも一緒に、皆で見に行こうな」
すると、ブースに一人の若い男性が現れたので、堺は、
「よこうそ、どうぞお座り下さい」
と愛想良い挨拶を投げかけた。
その男は文華を先客と思ったのか、やや躊躇う様子を見せた。文華はそれを察し、
「じゃあね」
と言って手を振り、堺の元を去ろうとした。
「文華」
「何?」
「お母さんに伝えておいてくれ。お父さん、やっぱりこの仕事を続けるって」
「そうした方がいいよ。呆け防止になるから」
文華は笑って、同人ゲームがあるブースへ向かって行った。
堺は、椅子に座りながら胸中の喜びをなるべく抑えようとしたが、それは至難の業だった。
「あの、漫画原稿を見てもらいたいんですけど」
毛糸の帽子を被り、太い黒縁の眼鏡をかけた男の声は、風邪予防のためなのか、着けているマスクのせいでくぐもって聞こえた。
「漫画原稿ですね。原稿を拝見しますので、お座り下さい」
堺がそう言うと、男はようやく椅子に座り、手にしていた封筒を堺に差し出しながら、
「お願いします」
と、言った。
「拝見します」
そう言って封筒を受け取った堺は、ふと相手の顔を見て、
「もしかして、常磐さんですか?」
と、頭に浮かんだ言葉を口にした。
男は一瞬、身体を強張らせた。が、直ぐに、
「ひ、人違いかと」
と、もごもごとマスク越しに答えた。
「そうですか・・・?」
堺が尚も、よく似ているなあと思いながら見つめていると、相手は遂に観念したらしく、
「すみません、嘘を言いました。常磐です」
と言って、マスクを外した。
「何だあ、やっぱり常磐さんだったんですね。お久し振りです」
にこやかな堺とは対照的に、常磐は気まずそうに俯いている。
「柳河編集長とは、御一緒じゃないんですか?」
途端に常磐は、口元に人差し指を当て、沈黙を依頼する仕草を見せた。
「昨日の晩から実家に帰省していることになっているのです。編集長に見つかったら、会場内を引きずり回されそうなので、僕が此処に来たことは内緒にしておいて下さい」
懇願する常磐に、堺は苦笑いして、
「大丈夫、今朝、開場して間もない頃に柳河編集長から挨拶を受けたけれど、常磐さんのことは一言も触れていなかったから、きっと実家に帰省していると信じてますよ」
と言った。
「堺さんを巻き込んでしまって申し訳ないです。どうしても、今日は一人で此処へ来たかったものですから」
常磐の視線が、堺の手にある封筒に向けられた。
堺も、手元の封筒を見つめた。
「僕が自分の手で描いたものです」
常磐の小さな声が、堺の心を揺さぶった。
「小学生の頃から、ずっとあたためていた物語です。最近になって、ようやく自分でも満足のいく形に仕上がったので、一度、誰かに見てもらいたくて、今日、お持ちしました」
常磐の言葉が、堺の指先を自然と震えさせた。
「創作しているなんて知らなかった。前に訊いた時、自分が作るものは料理ぐらいだと言っていたから」
「作品を見せてとせがまれるのが苦手なものですから。それより、さっき、会社を続けるようなことを言われてましたが、本当ですか・・・?」
「本当ですよ。年が明けたら、柳河編集長にも改めてご連絡します」
「何故、続けることに決めたのですか?」
「気障なことを言うようだけれど、もう一度、夢を見たくなってね」
「あ、ありがとうございます」
涙ぐむ常磐に、堺まで涙が出そうになった。
「泣くことないじゃないですか、常磐さん」
「なんか、嬉し過ぎて・・・。年明けじゃなく、今すぐ柳河編集長に連絡して下さい。きっと、大喜びしますから」
「そんなことをしたら、編集長がこの場に来てしまいますよ」
「それもそうですね」
堺と常磐は笑い合った。
久しく心の底から笑った気がしなかったせいか、とても気持ちが良かった。
笑い涙を拭った堺は、改めて封筒を見た。
「あの、常磐さん。開けて、その読んでも?」
「拝見しますって、堺さん、さっき仰ったじゃないですか」
恥ずかしそうに微笑む常磐に促され、堺は封筒から原稿を取り出した。
真っ黒にベタ塗りされた背景のページの中心に、ぽっかりと白い四角形が描かれていた。
その白い四角形の中には、黒いペンで『この物語は、終わりから始まる物語』と手書きで書かれている。
「拝見します」
堺は力を込めてそう言った。
あ と が き
日本ファンタジーノベル大賞2017に応募した作品です。
中学生時代にこの賞への応募を目指してファンタジー小説を書いていた事があります。結局、応募どころか、その作品を何年も完成させられない内に、この賞は中止となりました。
しかし昨年、この賞が復活することを新聞で知り、再挑戦するつもりで書き上げました。
ファンタジーを主題としておりますので、自分なりに「ファンタジーとは何か?」を考えてみた結果、「こんな世界になったらいいな」という夢や願望によるファンタジーとは真逆の、「こんな世界になったら嫌だ」という恐怖を根底にした作品を作ろうと思い立ちました。
作中の『魔改造プログラム』と呼ばれるプログラムは、昨今の画像認識技術の高さを考えれば、いつかは誰かの手によって生み出されると考えております。
もちろん、作者としては、そんなプログラムが登場しても、間違った使い方がされないこと(著作権を持たない作品を好き勝手に改変した挙句、ネット上に公開する等)を願いますが、最終的には使用者個人の倫理観や道徳意識の問題になってくるので、今からぐだぐだ言いません・・・。
応募するまでに一年近くこの作品と付き合いましたが、選考が終わり、改めて自作品を読み返してみるとあちこちに穴があって、まだまだ素人の趣味レベルから脱却できていないなと自覚させられました。また、一つの作品に集中する、特に長編作品を限られた時間内で書き上げることは、とても体力が要ることも判りました。
もっと下調べをした上で書くべきなのでしょうが、時間が無いことを理由に、関連本を読み漁ることもせずに書いたところがあるので、この欠点は克服したいと思っております。
日頃から出版業界関連の記事はなるべく読むようにしておりますが、業界人に直接取材したわけではないので、この作品の9割は作者の妄想が入っております。ほんと、滝のように流れる汗で溺れそうな気持ちです・・・。
今後の出版業界、ひいては創作界はどうなっていくのか?
私としては一つの未来を描いたつもりですが、流動激しい未来のことゆえ、今後どうなっていくかは自分でもわかりません。しかし、人類が抱く物語への飽くなき欲求は今後も失われることはないと、私は考えております。
この作品を最後まで読んで下さった上に、あとがきまで読んでいただき、ありがとうございます。
2017年12月27日