08.ブロンドと棺の謎
「どうしてよ!どうしてなのよ!?」
突然大声を出されたためか、生徒の一人が肩を大きく震わせた。
「何で皆黙っているのよ!?」
母親は黙って俯いたり、目を逸らしている生徒たちを威嚇するように、教卓の端を大きく叩いた。
「落ち着いてください、お母様」
担任教師が母親を宥めようとしたが、母親は更に逆上し、かえって火に油を注ぐ形となった。
「この中にいるんでしょ!?何故皆庇い立てするのよ!?
あの子が、ブロンディが苦しんでいた時から変わらないのね!」
他クラスの教師たちがヒステリックに叫ぶ母親を抑えようと近寄ったが、母親は急に立ち上がり、
「殺してやる!全員殺してやる!」
と言うなり、近くに座っていた生徒の首に掴みかかった。
教室内にいた生徒たちは一瞬でパニックに陥った。
屈強な教師たちが急いで母親を羽交い絞めにし、生徒から強引に引き離した。
首を絞められていた生徒は余程苦しかったらしく、傍に座っていた女生徒に背中をさすられながら、何度も息を喘いだ。
母親は教師たちに身体を捕まれ、言葉にならない奇声を発している。
教師たちが母親を廊下に連れ出そうとすると、両足を上げ、地団太を踏み、必死に抵抗した。
それでも教師たちは生徒をこれ以上危険に晒すまいと、無理矢理母親を廊下へ引きずり出した。
教師たちが教室のドアを閉めると、母親の喚き声が小さく聞こえ、保健室へ連れていかれたのか、暫くすると声は聞こえなくなった。
やがて担任教師が教室に戻ってきた。
担任教師は教室に入るなり、黒板下に置かれた教壇に上り、
「皆、怖い思いをさせてすまなかった。ブロンディのお母様は、急な出来事にとてもショックを受けておられた。さっき皆に言った言葉も気持ちが高ぶっているせいだからな。あまり気に病まないようにな」
と、ゆっくりと話した。
生徒たちは担任教師の話を聞いているのかいないのか、何の反応も見せなかった。
担任教師は生徒たちの“無反応”な反応を特に咎めることなく、肩を落とすと、
「それじゃあ、今日は寄り道せず、真っ直ぐ家に帰るように」
「先生」
誰かが声を発した。
担任教師が教室内を見回す。
「何か・・・言ったか?」
声の主を探すが、声の主はなかなか次の言葉を発しようとしない。
「皆が辛いと思う気持ちはよくわかる。先生もブロンディが交通事故で亡くなったと聞いて、とても悲しい」
「自殺でしょ?」
またもや何者かが声を発した。先程と同じ声である。
担任教師は声を発したと思われる主が座る席を見つめた。その視線の先には、担任教師の視線に気付いていない素振りで、腰まで伸ばした長髪を手櫛で梳いている女生徒が居た。
「自殺じゃない、交通事故なんだ」
「それなら何故ニュースに流れないの?」
女生徒は指先に絡みついた抜け毛を床に落としながら訊ねた。黒色の髪が白いリノリウムの床に映える。
「ブロンディの御家族は事が大々的に公になることを望んでいないからだ」
担任教師が眉間に皺を寄せながら答えた。
「とてもそうは思えないわ」
女生徒の挑発的な発言に、担任教師の表情が一瞬だけ怒りに変わった。
「あまり失礼なことを言うんじゃない、人が亡くなっているんだぞ」
担任教師がたしなめるも、女子生徒は更に、
「先生だって、あんな不登校児、顔もろくに覚えてないじゃない」
「いい加減にしないか!」
目の前の担任教師ではなく、後方からの声に女生徒だけでなく、教室内に居た生徒たちが一斉に振り返った。
戸惑いの雰囲気の中、窓際の最後列に座る男子生徒が身体を震わせていた。
「じ、自殺とか、交通事故だとか、ど、どうでもいい!ぼ、僕は、今までの生活が、崩されることが、嫌でたまらないんだ!」
「臆病なくせに大声を出せるのね。こんなに注目されたらどもりが酷くならない?」
「うぅるさあぁあああっ!!」
男子生徒が机の上にあった教科書を投げつけたが、教科書は憎き女生徒に当たらず、男子生徒の机の傍に落ちた。
女生徒が甲高い声で笑った。
「止めろ!二人とも黙れ!」
担任教師が大声で怒鳴ると、女生徒は小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、席に座った。男子生徒も怒りの矛先の向けどころがわからなくなったのか、急に辺りを落ち着かなげに見回すと、身体を縮めんばかりの勢いで着席した。
「原因が何であれ、一人の人間が亡くなった。遠い国の人間じゃない。この教室で、僅かだが、皆と一緒に過ごしていた人なんだ。皆は若いから、こういう時に実感は湧かないかもしれない。でもな」
「先生!」
先程教室を出て行った教師の一人が教室に飛び込んできた。
「ブロンディの母親が、あっ!」
視線が己を飛び越えて、後ろに向けられたので、担任教師もつられて振り返った。
穏やかな青空が見える窓の下から、大きな物体が地面に叩き付けられたような音が聞こえた。
同時刻。
「様子は?」
暗がりの中、一人が質問した。
「今は落ち着いたようですが、それでもあちこちで噂されてますね」
ノートパソコンの画面を凝視しながら、眼鏡をかけた男が答えた。その頬はここ数日の激務のせいか、病人のようにやつれている。
「どうにかならないものかねぇ」
中年役員のぼやきに、それまで室内を覆っていた濁った空気が揺らいだ。
何に対するぼやきなのかを問われる前に、発言者は更に続けた。
「“自殺”って言葉、どうも聞こえが悪いよ」
「じゃあ、何なら好いんですか?」
誰に向けるでもない独り言のつもりだったのか、中年役員は若手社員の疑問に睨み返した。
「いくら表現が適切でないと我々が言ったところで、ネット・スラングとして半永久的に残りますよ」
ぼやきを拾われた上に皮肉までぶつけられ、中年役員は聞こえよがしに舌打ちした。
すると若手社員が急に立ち上がり、空気は更に人々を緊迫の渦に落とし込んだ。が、テーブルをノックする音によって殺気立った空気は一瞬で崩れた。
「この際、言葉の表現は問題じゃないだろう?」
テーブルをノックしたリーダーが言うと、それまで苛立ちを露わにしていた若手社員が気まずそうに顔を俯けた。
「当社のゲームを愛好していたユーザーが自殺した。それだけの事なのに何故わざわざ哀悼の意を表明しなければならないんだ?此処でユーザーのために喪に服すようなことをすれば、課金制度を取らずにゲーム内の広告収入で生きてきた我々の首を絞めるようなものだ」
「自殺の原因が我が社のゲームにあるような内容の遺書だったんですよ、
何かしらの動きは見せるべきじゃないですか?」
座るタイミングを見失った若手社員が提案を述べるも、リーダーはそれを却下した。
「これまで通り、『長時間のプレイは心身に疲労を与えます。適度にプレイしましょう』の一文をサイトに掲載しておくだけで充分だ。リアルとゲームの区別もつけられず、アカウント削除を“自殺”や“処刑”の言葉に置き換える
ような“廃人”プレイヤーを世話する義務は無い。そういうことは医者に任せるべきなんだ」
同時刻。
「練習なんです、死ぬ時のための心構えを養うと言うのかしら」
まだ幼さが残る少女は、年齢に合わぬほど妙に達観した体で語った。
「死んだら、それまで築いてきた関係も何もかもが断ち切られてしまうって考えると、とても怖くなるんです。天国の存在や宗教観はそういう恐怖感から生み出されたものなんでしょうね、きっと。だけど、私にはまだ天国も宗教も信じられないんです」
少女が、小さな熊のぬいぐるみが付いたストラップを持った手を振り、否定の意を示した。
「死んだ時、天国も無く、魂なんてものも無く、ただぶっつりと全てを感じられなくなったらと思うとぞっとするんです。
せめて私が死んだ後、皆がどんな反応をするのか、見てみたいんです。知らない方が幸せかなのかもしれないけれど、でも、仲良くしていた人が私のために悲しんでくれている姿を見ると、素敵な人に恵まれて幸せだったって思えるんです。中には“後追い”する人もいるけど。
その安心感を生きている間に沢山得ておけば、死への恐怖が無くなる気がするんです。だから何回も何回も“自殺”して、皆の反応を確かめているの。・・・え?」
少女が聞き手の質問に耳を傾ける。
「どうしてあのゲームなのかって、あのゲームはとてもリアリティを追及しているからですよ。
“アナザーワールド”の名の通り、ゲーム内では学校や会社組織が幾つもあって、そこには上司や教師もいるんです。政治家だって、ちゃんと他ユーザーの投票によって選ばれるんです。それにあのゲームで“自殺”すると、ちゃんと『何月何日何時何分に、誰々さんがお亡くなりになりました』って、訃報がゲーム内の新聞に載るんです。その上、お葬式まで出してくれるんですよ」
やや興奮気味になりながら少女は語った。
「でも、たまに噂が流れるんです。本当かどうかは知らないけれど、ゲーム内で関係を結んだ相手の事が忘れられずに自殺した人がいるって話。所詮はゲームなのにね」
あ と が き
2014年1月19日、pixivにて投稿した、pixiv公式企画BOX-AiR&ITANショートストーリー(SS)大賞参加作品を大幅に改稿したものです。
元々「セカンドライフ」が話題になった頃、リアルを追求するあまり、こういう事が起きるようになるのではないかと、一人怖れていましたが、「セカンドライフ」はものの見事に忘却の彼方に追いやられ、死語となってしまいました。
なので、ここで昇華させます。
2016年3月12日